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2 冴子
「この辺みたいだけどな」
俺たちは、バマホとにらめっこしながら、川の土手沿いを歩いていた。まだ早朝だが、ランナーのジョギングコースとして有名なこの土手では、もうすでに何人かのランナーとすれ違った。もっと人が増えれば、スマホを見ながらひょこひょこ歩いている我々は、本気のランナーたちの、舌打ちの対象となってしまうだろう。
「彼女も走ってるってことですかね」
アキラが不機嫌な声で言った。朝が弱いアキラは、だいたい午前中は機嫌が悪い。
「その割に、点が動いてないんだよな」
対象を示す点は、土手沿いにいながら、じっと立っているように、動かず点滅していた。
「まぁ、じゃあ、特定しやすいんじゃないですか」
アキラは意に介さず、ズンズン歩を進めていった。
「あれかな」
アキラが急に止まったので、バマホを見ながら歩いていた俺は、まんまとアキラにぶつかった。
アキラはよろけてたたらを踏み、俺を振り返って恐ろしい目つきで睨んでから、彼女の方に目線を送った。
彼女は本当に立ち尽くしていた。
ランナーたちが走る道より少し土手を下ったところで、直立不動と言っていいほど真っすぐ立ち、川を見つめていた。
俺は慌ててバマホの画面を見た。ドンピシャリ、彼女だ。
このまま彼女が川に突き進んで自殺すれば、俺たちの仕事は終わりだが、そうなりそうにはなかった。
レベルはまだ1。ロストアンガー被施術者は、クラッシュしない限り、自殺することはない。
恰好はランナーのそれではない。ロングスカートに白いブラウス。上にはカーディガンを羽織っている。どう見ても、走りそうにはない。
早朝のこの時間に、川を見つめて立っている姿は異様だが、彼女が少しも動かないこともあって、道行くランナーたちは気が付かないふりをしているようだった。
俺たちも彼女の後ろを通り過ぎた。
顔見知りでもないのに、突然声をかけるわけにはいかない。不審に思われてしまう。
「どうするんですか」
イライラしながら、アキラが小声で訊いてきた。
「どうするったって、ここでナンパするわけにいかんしなぁ」
「だからって、どこで見張っとくんです?こんな見通しの良いところ、隠れるところなんてありませんよ」
俺はしばし考えると、アキラを引っ張って行って、道を逸れた。土手の芝生に座らせる。
「冷たっ!」
アキラは抗議の声を上げた。
「何するんです、マルさん!昨日の雨で、まだ草が濡れてますよ!」
俺はアキラの隣に座り、心底嫌そうなアキラの肩を抱いて、囁いた。
「俺たちは愛を語り合って、待とうか」
アキラは軽蔑を込めた目で俺を一瞥すると、呪いのようにブツブツと唱え始めた。
「ああイヤだ。もうイヤだ。なにこのオッサン。マジ信じられない。ていうか、これセクハラだろ?」
座った目で恨み言を繰り返すアキラ越しに、俺は「野島紗英子」盗み見した。ほっそりした身体と、肩甲骨の辺りでそろえられた黒髪。着ている服からしても、荒んだ様子は見受けられなかった。きちんと自分の家があり、きちんと食べられているようだ。
バケモノになった者は、憲法に保障されている、健康で文化的な生活を送れない者も多い。ロストアンガーを受けて、普通の人間として、ポイッと世間に投げ出されるので、職に就けない者もよくいるのだ。欲というものを抜かれているので、尚更だ。
家族がいて、家族が受け入れてくれているか、うまく就職できたか。とにかく「野島紗英子」は、きちんと生活できているようだった。
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