第7章 樹の国で秋の味覚

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黄色い毛の塊りのような虎の子が、こちらに駆けてくる。 「氷刃(ひば)!」 大きな声が掛かって、氷刃は走る速度を落とした。 莉堵の側まで来ると、一度止まってからゆっくりと近付いてくる氷刃は、もどかしそうだ。 莉堵は、手が届くところまで氷刃が近付いたところで、その頭を撫でる。 氷刃は嬉しそうに頭を擦り付けてくる。 そのまま寝そべって身体を丸めて莉堵を包み込んだ氷刃は、顎の下を撫でる莉堵に、ゴロゴロと喉を鳴らした。 「やれやれ、氷刃は相変わらず姫様のことが大好きだな。」 伸座究(のざく)の呆れたような声が掛かる。 「本当だな。お姫様を何だと思って懐いてるんだろうな。」 言いながら、鞭を持った男がもう一人近付いてくる。 「囲い込んで離さないっていうようにも見えるな。」 莉堵を前に交わされるそんな会話に、莉堵は苦笑した。 「貴方は?」 鞭を持った男の方に問い掛けると、男がこちらを向いて頭を下げた。 「調教師の座惟摘(ざいつ)と申します。地の国のお姫様。」 恭しい中にも、何か含みのあるような口調で男は告げて、顔を上げた。 「莉堵です。」 そう短く返すと、座惟摘は莉堵を鋭い目で観察するように見る。 その視線は少しだけ不快で、莉堵は小さく顔を顰めた。 「莉堵姫様は、野の国の血を引いておいでですか?」 唐突な問いに、莉堵は目を見開く。 「・・・ええ。確かに、私の母は野の国の出身でした。」 莉堵の亡くなった母親は、今は亡き野の国の国主の姫だったそうだ。 野の国は、莉堵が生まれる前に地の国に攻め滅ぼされたのだという。 莉堵の母親がどういった経緯で地の国の国主の側妃になったのかは知らないが、母親や莉堵に地の国の者達の当たりが強いのは、その辺りの事情なのだろう。 「成る程。地の国の国主は、野の国の一ノ姫を連れ去った。貴女はその娘という訳だ。」 無遠慮にそう言った座惟摘に、莉堵は顔を顰める。 「貴方は、一体何者?」 問い返すと、座惟摘は途端に厳しい表情を崩して、にこりと笑った。 「これは、失礼を。私は只の獣の調教師です。」 口調さえも変えた座惟摘に、この男は侮れないと莉堵は心に刻んだ。 食えない座惟摘の笑みから目を逸らして、莉堵は氷刃に目を落とす。 「氷刃は、ご飯を食べるようになった?」 伸座究に向けて問い掛けると、伸座究がさっと前に出た。 「あ、はい。ここで落ち着いてからは食欲が戻ってきました。もう大丈夫だと思いますよ。」 その答えに、莉堵は微笑む。 氷刃の毛を一頻り撫でてやってから、伸座究に目をやると、彼は何か躊躇うような様子をしていた。 莉堵が首を傾げてみせると、伸座究は漸く躊躇いがちに口を開いた。 「あの、莉堵様の方も、お顔の色が少し良くなられましたね。」 莉堵はそれに、伸座究に微笑み掛ける。 「ええ、有難う。少し気持ちの整理が付いて、私の方も落ち着いたのかしらね。」 口にしてから、氷刃の首にぎゅっと抱き付く。 氷刃は目を細めて、莉堵の手を舐める。 「氷刃、くすぐったいわ。」 言いながら手を離すと、氷刃は甘えるように喉を鳴らした。 その様子を側で見ていた座惟摘が、莉堵にまたあの鋭いような目を向けている気がした。
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