第8章 寂寥と儚想の音

4/5
109人が本棚に入れています
本棚に追加
/53ページ
宮城の廊下という廊下に赤々と篝火が焚かれ、着飾った人々が行き来する。 その廊下を埜州示(のすじ)に連れられてゆっくりと進んで行くと、行き合った人々は皆目を見開いてから、頭を下げて道を譲ってくれる。 鮮やかな柿色の衣に青色の上衣を羽織って、胸元には布袋に入った細身の横笛を差して、手には鮮やかな色取り取りの飾り紐の付いた扇を捧げ持つ。 正装に身を包んだ莉堵は、これまた念入りに化粧を施されて、取り澄ました顔で歩いて行く。 いよいよ樹の国から3日後に出発するに当たって、国主の烝瑠宜(むるぎ)は、領地内の要職者を招いて宴を開いた。 その席で莉堵の仕上がりを確かめ、お披露目をすることにしたようなのだ。 本当ならば、ここで諦めて貰うのが一番なのかもしれないが、それにしては莉堵の為に好意的に手を掛けてくれた人が多過ぎる。 莉堵の失敗を、その人達の責にされるのは申し訳ない。 という訳で、万全の態勢で都には行ったが、皇帝にはやはり見向きもされなかったというのが、理想的な筋書きだろう。 本当は、都に着いた途端に、渡津依が拐い出してでも取り戻してくれないかと思うが、そこは望み薄だと思っておくべきだろう。 導かれるまま大広間に入って、奥の上座に座る烝瑠宜と枝磨の元に向かう。 埜州示が挨拶をしてから、莉堵も口を開く。 「埜州示の妹莉堵でございます。烝瑠宜様、枝磨様、本日の宴へのお招き、有難うございます。」 固めの埜州示の挨拶の後に、莉堵は柔らかく礼を述べて、正妃の枝磨との交流を仄めかす。 上流の交流の席というのは、色々と面倒だ。 だが、ここで完璧に熟してみせなければ、清梛(すな)の落ち度ということになってしまう。 言って淑やかに頭を下げた莉堵に、広間中からほうという溜息が聞こえる。 「ふむ。地の国のお客人、今宵は楽しまれるが良い。美しい妹姫には、後程得意の笛でも披露して頂くことにしようか。」 機嫌良くにこやかに返した烝瑠宜には、今のところ好評価を貰えているようだ。 ただ、得意の笛という言い方は、是非止めて欲しい。 一気に期待値を上げられて、莉堵としては苦笑したい気分になった。 そのまま案内されるままに席に着き、出された料理をお上品に少しだけ摘んで、時折訪れる客の相手をしている内に時間は過ぎて行く。 そっと肩を叩かれて、横笛の披露の準備を促されると、莉堵は仕方無く、ただそうは見えないように微笑んで席を立つ。 隣に座る埜州示が、失敗は許さないぞという目を向けてきて、物凄く腹が立つような気がしながら、案内に従って宴席の目立つ場所に進み出た。 用意された椅子にお上品に腰掛けて、胸元から横笛の入った布袋を取り出す。 笛を取り出す所作にも優雅さを持たせるように気を付けて、そっと宴席を見渡してから口に吹き口を当てる。 静かになった宴席で、客達の視線を意識から閉め出すべく軽く目を閉じると、すっと息を吸い込んだ。 莉堵の横笛の腕は、良いところ普通に毛が生えたくらいのものだ。 枝磨に特訓されてもその程度のものなのだから、取り繕ったところで仕方が無い。 さっさと披露して、まあこんなものかと思われるしかない。 それでも、いつか渡津依に聴かせる機会が出来たなら、その時は少しでも上手いと思われたいかもしれない。 そんなことを考えながら吹き出した所為か、笛の音はいつもより柔らかく伸びやかに始まって広がって行く。 気持ちが乗ってきて、苦手意識が薄れる。 終始柔らかく伸びやかに吹き切った笛の音は、莉堵の演奏史上最高の出来かもしれない。 笛から口を離して目を開けると、途端に大きな拍手を贈られた。 「これは、悪くない。」 「いやいや、中々。しっとりと柔らかで、良いですぞ。」 そんな声も混じって聞こえてきて、莉堵はほっとする。 ちらりと目を向けた枝磨も大きく頷いていて、取り敢えず、本日の難関は突破できたようだ。 また案内の者に導かれて席に戻ると、埜州示が笑いが止まらないような顔で、ふんぞり返っている。 誰か後ろに蹴倒してくれませんかと思いながら、莉堵は隣に座った。 宴席はここから段々と席を立っての無礼講に移って行く。 「埜州示殿。酒は進んでおられますか?」 言って埜州示の前に立ったのは、根郡須だ。 「ああ、これは根郡須殿、お陰様で楽しませて頂いております。後は綺麗な酌取りでも側に居れば言う事が無い。」 下品なことを言い出した埜州示は、酔い始めているのだろう。 「埜州示殿、これ程の妹姫をどうしてこうなる前に紹介して下さらなかったのか、お恨み申し上げますよ。」 「いやいや、とてもとても樹の国の次期国主殿に差し上げるにはまだまだと思っておりましたが。どうしてこれが、中々に育っておりまして、私としても驚くばかりですよ。」 上機嫌に答える埜州示とは逆に、根郡須は口元に苦笑を浮かべているのだが、酔った埜州示は気付いていないのだろう。 少しだけ呆れた目でやりとりを見守っていると、根郡須がこっそりとこちらに目配せをしてきた。 「埜州示殿。席を替えて、今宵はとことんまで飲み明かしましょう。」 そう誘った根郡須に何やら不穏な空気を悟って、莉堵は横を向いて気付かなかった振りをすることにした。 そういえば、維矢留が海に帰る時、根郡須と何やら不穏な約束を交わしていたことを思い出した。 「莉堵様、私達もそろそろ下がらせて頂きましょう?」 図ったように清梛も莉堵に話し掛けてきて、どうやら根郡須の謀に清梛も加担しているのだろう。 莉堵は勿論、にっこり笑顔で清梛に頷いた。
/53ページ

最初のコメントを投稿しよう!