第10章 白い小花の贈物

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都に入って渡津依達が滞在するのは、最上級の宿屋だ。 国主ではない海の国の元締めは、都に屋敷を構えることが許されていない。 だが、今回のような皇帝への献上品を携えた旅装で、そこらの宿屋に泊まる訳にはいかない。 という訳で、ここでも海の国は、お金を落とさざるを得ない状態に陥れられるのだ。 実際には、海の国ではその為の予算が予めきちんと組まれていて、その都度困るなどということはないのだが。 渡津依は宿に入って行きながら、傍の大通りを通って行く樹の国の行列を目で追っていた。 手を伸ばせば届くところに莉堵がいるのに、声を掛けることさえ遮られるだろう。 渡津依の渡した花を、莉堵は喜んでくれただろうか。 都に入る手前の道端で、寒くなり始めたこの時期に、健気に咲く白い花の塊りを見付けて、是非莉堵に見せてやりたいと思ったのだ。 本当は、事前に他国の到着の予定を探らせていて、樹の国への当て付けに前に割り込んでやろうと思っていたのに、花を目にした途端に考えが変わった。 莉堵につまらない小競り合いなど見せたくない。 ただ、喜ばせてあげたかった。 「渡津依様、入りましょうか。」 深都波に声を掛けられて、渡津依は頷くと宿の中に入って行った。 この生誕祝いの時期の海の国の行列は、人も物も多く、宿を丸ごと借り上げることにしていた。 この宿屋の主人とは、古く何代も前の元締めの時から話しが付いていて、この時期は必ず海の国の為に空けておいてくれるのだ。 部屋の配分と配置は事前に連絡してあったが、宿の主人から改めてざっくりと説明があってから、渡津依は一番良い部屋に通される。 広い居間の隣に広々とした寝室、その隣にもう一部屋女性の為の化粧部屋を用意させておいた。 いずれ莉堵を取り戻した時に、彼女の為に用意した部屋だ。 必ず取り戻すと決めて、その覚悟の為に用意させたようなものだ。 「さて、都の水は合いますかね。」 共に部屋に入って来ていた深都波が、意味有り気に呟いてから、水差しから杯に水を注ぐ。 「乃呼、箱を取ってくれるか?」 同じ部屋で軽く荷解きをしていた乃呼が、小箱を手に深都波に近付いてくる。 「上手く行きますでしょうか?」 心配そうな乃呼の言葉に、深都波が優しく微笑んでいる。 「海の偉い仙人様なんだろう? 精々頑張って貰うさ。」 言った深都波は、小箱を開けて紅珊瑚の櫛を取り出す。 そして、その櫛の傍に下がった青い飾りを杯の水に浸けた。 と、その杯の中から、維矢留が飛び出して来る。 「やっぱり、都の門は自力では抜けるのに時間が掛かりそうだね。こうやって呼んで貰えるなら、問題ないけどね。」 言って維矢留はにこりと笑った。 「では、この方法でお前は何処にでも入り込めることが実証されたな。」 渡津依が真面目な顔で告げると、他の面々も頷いた。 「となると、やはり櫛を莉堵様の元にお渡しするのが一番でしょうね。いざという時の為の切り札として。」 続いた深都波の言葉に、渡津依は頷く。 「どうやって、繋ぎを取るかだな。」 呟いて、部屋の外に目をやると、荷物を運びながら通り掛かった薄い髪色の若者の姿が目に入った。 「於豆播(おずま)。」 呼び掛けると、異国出身の若者が荷物を置いてこちらへやってくる。 「お呼びですか? 渡津依様。」 於豆播は渡津依の前に膝を突いて問い掛けてくる。 「莉堵は。樹の国の馬車に乗っていた姫は、手紙をくれそうな様子だったか?」 於豆播は少し考えるような顔をしてから、こちらに目を合わせてきた。 「お聞きしていたより、お淑やかで儚げで大人しそうな姫に見えました。可憐な白い花はお似合いでしたが。」 その答えに、渡津依を始め、居合わせた三人は微妙に目を逸らした。 「ま、まあそう見えるよな。あの方は。」 深都波の誤魔化すような発言もどうかと思うが、渡津依は小さく溜息を吐いた。 「読めないのだ。もしかしたら、何か怒らせているかもしれないし。取り敢えず、彼女の方から何かなければ、こちらからは容易に近付けない。」 そう口にすると、全員が小さく頷いた。 「僕が行ってきても良いけど。莉堵様の気が変わってなければ、あんたが直接会って話して、安心させてあげなければ、進展はないよ。」 維矢留からの厳しい指摘も分かっている。 良く良く皆の話しを聞いた結果判明したことだが、莉堵は渡津依が赤い衣を着せたがったのを、帰ってきた莉堵が赤い魚の変化と思ってのことだと。 赤い魚に心を通わせていると、勘違いしたようなのだと。 「分かってる。」 渡津依はそれだけ答えて、軽く目を瞑ると、脳裏に赤い衣を着て踊るようにそれは楽しそうにくるくる回る莉堵の姿を思い浮かべる。 夢で見た莉堵は、踊っているのだと思っていたが、最近になってあれは、踊っていたのではないかもしれないと思い始めた。 楽しそうに、嬉しそうに、見た事もないような優しい瞳で。 渡津依は温かい気持ちになって、口元に小さく笑みを浮かべた。 ーーー終わりーーー
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