バケモノさんと女の子

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 昔々の、そのまた昔。  世界が今の様になるより、ずっとずっと前の事。  ある国の、ある村の、山奥深くの森に、一人のバケモノさんがいました。  バケモノさんはその恐ろしい声と見た目から、人間からずっとずっと怖がられ、忌避され、傷付けられて。  けれどバケモノさんは、人が大好きな、とても心の優しい子でした。  誰かを傷付ける事を恐れ、誰かを悲しませる事が大嫌いで、誰かを守る事に誇りを持ち、誰かの役に立てる事を喜びとする、そんなバケモノさんでした。  でも人々は、そんなバケモノさんを徹底的に否定しました。  彼を見付ければ石を投げ、事件があればすぐ彼のせいにされ、彼が住む家は数えるのに疲れるぐらい破壊され、  …それでも彼は、人が大好きです。  人間が、大好きだったのです。  そんなある時、バケモノさんの住処である森に、一人の女の子が迷い込みました。  女の子はバケモノさんを見ると、途端にわんわん、えんえんと大泣きしてしまいました。  親や周りの人から、「バケモノさんは子供を見つけたら、すぐにぱくりと食べてしまうぞ」と、強く強く言われていたからです。  そして女の子は生まれつき足が悪く、車椅子を使っていましたが、その車椅子が運悪く壊れてしまいました。  逃げられない。  このままでは、食べられてしまう。  だから女の子は、大泣きしてしまったのです。  そんな女の子を横目に、バケモノさんは、もくもくと車椅子を修理しました。  バケモノさんは女の子がどうして泣いているのかを重々承知していましたし、自分が余計な事をすれば、女の子を更に泣かせてしまうという事も分かっていましたから。  車椅子を良く観察し、壊れた箇所を見付け、そのパーツに代用出来るパーツを作り、修理し、車椅子がちゃんと動く事を確認して、  バケモノさんは、女の子に車椅子を返しました。  女の子はまだ涙を流し、バケモノさんを怖がっていましたが、バケモノさんが何もしてこないのを見て、ゆっくり、ずりずりと車椅子に近寄り、乗りました。 「…直して、くれたんですか?」  バケモノさんは返事をしようとして、自分の声が女の子を怖がらせてしまうと思い、こくこくと頷きます。  女の子はそれを聞いて、首を傾げました。  周りの人から聞いていたバケモノさんの印象と、今目の前にいるバケモノさんは、全く違っていたからです。  それでも、村の人から言われたバケモノさんの印象の方が、どうしても強くて。 「…ありがとう、ございます」  女の子はバケモノさんにそう御礼を言うと、すぐにバケモノさんの住処から離れて行きました。  そんな女の子の背を見て、バケモノさんは、幸せで胸がいっぱいになりました。  何かをしてありがとうと言われた事など、今まで一度も無かったからです。  今日は良い事があったなぁ。  バケモノさんは、嬉しくなりました。  それから暫くして、バケモノさんの所にまた、今度はハンカチーフの掛かったバスケットを持って、女の子がやって来ました。  一体どうしたのだろうか。忘れ物でもしたのだろうか。  …もしかして、自分が修理した車椅子に何か不都合があったのだろうか。  バケモノさんは、とても不安になりました。  女の子は車椅子を器用に動かして、バケモノさんの目の前にやって来ました。  女の子は、ほんのちょっぴり震えていて。  バケモノさんは、女の子から離れました。  けれど女の子はバケモノさんに近付きます。  また離れても、また近付きます。  本当に何があったんだろうか。バケモノさんは更に首を傾げました。 「…これ、あげます」  女の子は抱えていたバスケットを、バケモノさんに差し出しました。  バケモノさんはそれをおずおずと受け取り、ハンカチーフを取ります。  そこにあったのは、バスケットいっぱいに入った、クリーム色とチョコレート色の美味しそうなクッキー。 「…この間の、お礼です」  それを聞いたバケモノさんは恐る恐るクッキーに手を伸ばし、一口、ぱくり。  途端にバケモノさんは、目を見開いて、びっくりしてしまいました。  こんなに美味しい物なんて、今までに一度だって、食べた事が無かったからです。  ぱくぱくぱくぱく、バケモノさんは嬉しくなって、つい沢山食べてしまいました。  ふとバケモノさんは、「こんなに美味しい物を貰ったのだから、何かお礼をしなければ」と思いました。  クッキーを一旦女の子に返して自分の家に戻り、そして戻ってくると、その手には木彫りの鳥が一つ、ちょこん。  バケモノさんはそれを、女の子へと差し出しました。  女の子はちょっとびっくりしましたが、おずおずと、その木彫りの鳥を受け取りました。 「…ありがとう、ございます」  女の子は、笑ってそう言いました。  バケモノさんは女の子がまたありがとうと言ってくれた事、そして笑ってくれた事に、幸せな気持ちでいっぱいになりました。  それから女の子は、よくバケモノさんの所に行くようになりました。  バケモノさんが木彫り細工を作っている所を見たり、バケモノさんに手伝って貰いながら作ってみたり、バケモノさんのお友達である小鳥さんと遊んだり、バケモノさんに文字や言葉を教えたり。  女の子はもう、バケモノさんの事が怖くありませんでした。  そのけむくじゃらの見た目も、見慣れればもふもふとした姿に、むしろ愛着さえ湧いて、  低いその声も、聞き慣れれば年老いた賢者が側にいる様な落ち着きを感じるようになりました。  バケモノさんも、最初は戸惑っていましたが、自分の側で笑ってくれる女の子に、次第に心を開くようになりました。  しかし、女の子がバケモノさんに会っている事を、女の子の親は知ってしまったのです。  女の子の親と村の人々は、バケモノさんの住処に火を着けました。  家も、家財も、女の子が気に入ってくれた木彫り細工も、全て灰となって。  バケモノさんは、沢山、沢山、痛い思いをしました。  石を投げられ、汚れた水をかけられ、鞭で打たれ、剣で斬られ、  それでもバケモノさんは、襲ってきた人達を攻撃をしようとはしませんでした。  そしてバケモノさんは、村で一番硬い牢屋の中に閉じ込められました。  女の子は泣きました。  泣いて泣いて泣いて、涙が涸れるまで泣いてもまだ泣いて。  女の子はずっと、自分を責めていました。  自分がバケモノさんに会いに行く所を見られなければ、バケモノさんは傷付かなかった。  自分がバケモノさんに会いに行かなければ、バケモノさんは傷付かなかった。  自分がバケモノさんと親しくしなければ、バケモノさんは傷付かなかった。  自分の足が悪くなければ、バケモノさんは傷付かなかった。  自分がいなければ、バケモノさんは、こんなにも傷付く事は無かった。  女の子はずっとずっと、ずっとずっと自分を責めていました。  それを見ていた女の子の親は、牢屋に繋がれているバケモノさんに言ったのです。 『もしあの山にある薬草を取って来る事が出来たら、お前をこの牢屋から出し、二度と傷付けはしない』、と。  その薬草は、女の子の足を治す事の出来る唯一の薬の素だと言われてました。  しかしその山の道々は険しく、触れただけで死んでしまう毒草や、人を食べてしまう動物が沢山いて、どんな勇者でも登る事の出来ない場所と、恐れられていました。  それでもバケモノさんは、喜んで頷きました。  その山の恐ろしさを知らない訳ではありません。牢屋から解放されたり、傷付けられない事に喜んだ訳ではありません。  自分が頑張れば女の子の足が治せる。それが分かったから、喜んで頷いたのです。  やがてバケモノさんは山の麓までやって来ると、手に持っていた地図を広げました。  地図には一本の道が引かれていて、それは薬草のある場所に至るまでの最短の道を示した物でした。  バケモノさんは知っていました。  それは最短の道であると同時に、最も危険な道である事を。  しかしバケモノさんは暫くの間地図を見て一つ頷くと、一歩、また一歩と歩き出しました。  薬草に至る、最も短くて、最も危険な道を。  そこから先、薬草に至る道は、筆舌に尽くしがたい物でした。  触れれば死んでしまう毒草しか生えていない大草原を歩き、人を食べてしまう動物と何度も戦い、  薬草のある崖に来た時、バケモノさんはもう、立っているのがやっとな程でした。  目の前にあるのは、雲のある高さを超えてそびえる、高い崖。  バケモノさんは満身創痍の体をなんとか動かし、崖を登り始めました。  全ては、あの女の子の為に。  初めて自分にありがとうと言ってくれて、初めて自分にクッキーを作ってくれて、初めて自分が作った木彫り細工を喜んでくれて、初めて自分を慕ってくれて、初めて自分の為に泣いてくれた、たった一人の女の子の為に。  そしてボロボロになってしまったバケモノさんは、けれどちゃんと、薬草を取って帰る事が出来たのでした。  村に戻ったバケモノさんを待っていたのは、歓迎でも、感謝でもなく、 『絶対に死ぬと思ったのに』 『まだ生きるか、バケモノめが』 『さすがはバケモノ、気味が悪い』  ただただ冷ややかな、人々の視線。 「私達はもう貴様には干渉しない。だから貴様も私の娘に近付くな。  …目障りだっ!どこへなりとも失せるが良いっ!」  女の子の親はバケモノさんから薬草を奪い取ると、バケモノさんに吐き捨てる様に言いました。  自分の住処に帰ったバケモノさんは、その直後、バタリと倒れてしまいました。  バケモノさんの体は限界を超え、本当なら道半ばで倒れてもおかしくはなかったのです。  それでもここまで来た理由は、もう誰にも迷惑を掛けたくなかったから。  そして、女の子が倒れている自分を見て、悲しんだりしてほしくなかったから。  薄れていく意識の中で、バケモノさんはいろんな事を考えていました。  自分が取って来た薬草はちゃんと効いたのだろうかとか、女の子の足は治ったのだろうかとか、そんな事ばかり。  バケモノさんのすぐ側では、小鳥達が「どうしたの?」と首を傾げていました。  「大丈夫だよ」。バケモノさんはそう言うように一つ鳴いて笑うと、  静かにそっと、目を閉じたのでした。  バケモノさんが目覚めたそこは、綺麗な花が咲き乱れる天国でも、人々の呻き声が木霊する地獄でも、何もない真っ暗闇でもなく、  自分が倒れた場所と、全く同じ場所。  バケモノさんはびっくりしました。  あの状態だったら、自分はそのまま死んでもおかしくはないと、分かっていたからです。  そしてバケモノさんは、自分の側にいる人影に気付き、もっともっとびっくりしました。 「良かった。…気が付いたんですね?」  そこにいたのは、あの女の子でした。  車椅子に乗る女の子は、その手に持ったバスケットの中に、薬草や包帯を沢山詰め込んでいました。  自分の体を見れば至る所に包帯が巻かれ、痛みも嘘のように引いています。  「どうして?」バケモノさんはそう尋ねるように声を上げました。  …ただその声は掠れてしまい、聞き取る事も出来ない物となってしまいましたが。  女の子はバケモノさんの包帯を取り、薬草を塗りながら、ポツリポツリと、語り出しました。  女の子の足は、バケモノさんが取って来てくれた薬草でも、治す事が出来ませんでした。  目を覚ました女の子は、バケモノさんがどんな存在なのかを人々に語りました。  バケモノさんは本当に人の事が好きなのだと。誰かを傷付けたいと望んでいないのだと。  けれどその叫びは届く事はなく、終いには女の子がバケモノさんのせいでおかしくなってしまったのだと言う始末。  だから女の子は、家を出てしまったのです。  それを聞いたバケモノさんは、怒りました。  近くにあった木の棒を使って、覚えたばかりの文字と言葉を地面に刻みます。 『すぐにいえにかえりなさい』 『いえでなんてしたら、かぞくのひとがかなしむじゃないか』 『かぞくのひとをかなしませちゃいけない』 『ぼくのことはだいじょうぶだから』 『はやく、かえりなさい』  バケモノさんはそう、時間を掛けて刻みました。  それを見た女の子は、少しだけ悲しそうに微笑んで、 「きっと私の事は、誰も心配していません。  …あの村に、私の居場所なんて、無いのですから」  女の子は、今にも泣きそうな顔で、自分の事を語り出しました。  女の子のお母さんは、本当のお母さんではありませんでした。  そして今のお母さんには、男の子の子供がいました。  女の子よりずっと優秀で頭も良く、見女麗しくて、人付き合いも良く、何より足の不自由で無い男の子が。  女の子のお父さんも、お母さんも、男の子の方ばかり大切にしていました。  女の子の足を治す薬草をバケモノさんに取ってこさせた本当の目的は、女の子の足を治す為ではなく、バケモノさんを死に至らしめる為。  女の子の事を持ち出せば、バケモノさんは絶対に乗ってくると、そう女の子の父親は思ったのです。  …そう語り終えた女の子に、バケモノさんは何も言えなくなってしまいました。  バケモノさんは、暗い暗い研究所の中で生まれ、ずっと一人ぼっちでした。  だから、バケモノさんは家族というものを本でしか見た事がありません。  その中での家族は、みんな幸せそうでした。  だからバケモノさんは、何も言えなくなってしまったのです。  …女の子の様な家族を、バケモノさんは知らなかったから。 「…バケモノさん、一緒に旅に出ましょう?」  女の子は何も言わないバケモノさんに、突然そんな事を言いました。 「ここにいても、バケモノさんは幸せになれない。  ここにいても、私は幸せになれない。  だから、二人が幸せになれるような場所を、一緒に探しましょう?」  バケモノさんは、必死の形相で女の子を説得しました。 『そんなことをしたら、にどとかぞくのところにかえれないかもしれない』 『そのばしょにたどりつくまえに、しんでしまうかもしれない』 『ぼくといっしょにいても、しあわせになんかなれない』、と。  女の子はバケモノさんのその言葉を、全て否定しました。 「あんな、私の居場所の無い所になんか帰りたくない」 「死んでしまってもかまわない」 「バケモノさんと一緒にいられるなら、なんでも乗り越えられて、それだけで幸せなんだ」、と。  …女の子はいつの間にか、バケモノさんに恋をしていたのです。  それを聞いたバケモノさんは、泣きました。  沢山沢山、泣きました。  女の子が言ってくれた言葉があまりにも優しかったから。女の子の気持ちが本当だったから。  女の子をそんなにも変えてしまったのが、他でもない自分自身だったから。  女の子はボロボロと涙を流すバケモノさんを、強く強く抱きしめました。  バケモノさんと女の子は、旅に出ました。  バケモノさんと女の子が平穏に暮らせる街、そんな理想郷を目指して。  路銀はバケモノさんが作った木彫り細工や、女の子が作ったクッキーを売って稼ぎました。  木彫り細工は出来が良く、それなりの値段で売る事が出来て。  女の子のクッキーは、一度作れば瞬く間に売り切れてしまう程に人気になって。  盗賊や、それに似た人達に襲われる事もありました。  けれどもバケモノさんが、その全てを撃退してくれました。  心が凍り付いてしまう程寒い日もありました。体が灰になってしまう程暑い日もありました。  それでもバケモノさんと女の子は、一緒に乗り越えていきました。  バケモノさんも女の子も、互いを見捨てようとは、これっぽっちも思っていませんでした。  二人が一緒だったから歩いて来れたし、歩いて行けると、互いに心の底から思っていたからです。  そしてとうとう、二人は理想郷に辿り着きました。  そこは女の子のような人も、バケモノさんのような動物も、互いに手を取り合って生きている場所でした。  二人は泣きました。  嬉しくて、安堵して、だから泣きました。  二人はここにいようと決めました。  永遠に共に、この場所で生きていこうと、そう、誓いました。  そして二人は、辿り着いたその楽園で、幸せに暮らしましたとさ。
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