奪取

1/1
前へ
/5ページ
次へ

奪取

 いったいどれくらい歩いただろうか。すでに太助の全く知らない地に入っていた。辺りは霧に包まれ、太助の恐怖も限界に達しようとしていた。  その時、変化が起きた。一団が速度を上げたのだ。太助は足音に気を使いつつ、腰を低く保ちながら引き離されないように必死で付いていくと、輝くものが見えてきた。 (泉だ!)  物の怪たちは隊列を崩し、思い思いに泉の淵に並んだ。太助も物の怪たちから一番離れた場所に腰を置く。  枯れ木と異形の植物に包まれた泉。太助は勇気を絞り出して水をくんでいく。水をくんでは水筒を着け直す。それを繰り返し、最後の1本までくみ上げた。ついにやり遂げたのだ。  しかし、視線の先にもう1本水筒が落ちていることにふと気付く。しかもそのそばには一体の屍が。 (前にもここに誰か来た人がいるのか)  役目を終えて冷静さを少し取り戻した太助は、化け物たちの様子を警戒しつつその屍に近づいた。  落ちていた水筒を手に取る。色は飴色に劣化しているが、そこまで古いものでもないように感じた。重みもあり、中には水が入っていた。 (やっぱりここには前にも誰かが……)  そう思ったところで、太助は屍のある一点から目が離せなくなった。  藍色で青海波の模様が入った一枚の手ぬぐい。太助の父が、家を去った日に背負っていた袋と同じ柄だった。急に胸が押しつぶされそうな感覚になる。 「……父……さん……」  張り詰めていた緊張の糸が、ここでぷつりと切れてしまった。痛恨の過ち。辺りの雰囲気が一瞬で変わる!しまったと思った時にはもう遅い。物の怪たちが太助の声に気付き、一斉に注目した。明らかに敵意がある。  太助はその視線だけで息が止まりそうになり、腰を抜かして尻もちを付き、後ずさりする。背部の水筒が何本か落ちたが拾い集める余裕はない。 「肉だ……」 「奴の手先か……」 「ぉおぉ……命じゃ。命の炎じゃ……」  物の怪たちがにじり寄る。太助の命は奴らにとってのご馳走なのだ。  殺意が距離を詰めてくる。  だが足に力が入らない。 (雪、清彦、みんな……。すまない……!)  太助は覚悟を決めた。  すると次の瞬間!  (カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリと唱えよ!)  と、太助の頭の中に声が響いた! 「え…何……?」 太助は呼吸荒くし、混乱した。 (早く! カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリと唱えるのだ!) 「な、何だって!?」 (急げ! カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリだ!)  太助は力を振り絞り、 「か、カタシハヤ、え、ええと、エカセニクリニ…次は!?」  途中まで唱えたところで、物の怪たちの動きに変化が生まれた。足を止めたのだ。  「は、早く!」 (タメルサケ…) 「タメ、ルサケ……!」 (テエヒ、アシエヒ) 「テエヒ、アシエヒ!」 脳に響く声に太助は必死で合わせた。 (ワレシコニケリ……) 「ワレシコニケリ!」 最後は出せる全ての声で叫んだ。すると物の怪たちは太助への興味を失い、元いた場所へと次々に戻っていく。 (ぐずぐずするな。右わきの坂を下り、あとはひたすら走れ。それと和尚に気を付けろ。あいつが全ての元凶…)  詳細を事の詳細を聞きたい気持ちもあったが、すでに心が限界を突破していた太助は、父の水筒と手ぬぐいを握りしめ、一目散にその場から逃げ出した。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加