凶事

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凶事

 澄んだ青空の元、緑が鮮やかなだんだん田で田植えをしている人たちの姿がある。とても戦国の世とは思えない、のどかな田園風景がそこにはあった。 「おい太助(たすけ)」  腰を直角に曲げ、田んぼと向き合っている小柄な少年は、面倒臭そうに腰を上げ、振り向いた。  親指ほどの大きさのカエル。それが振り向いた太助の目前にあったものだ。 「ぴゃい!」  本当に叫び声なのかと問いたくなるような奇声を発し、その勢いのまま背中から派手な水しぶきを上げた。それをあざ笑うかのようにカエルが鳴き、辺りも爆笑に包まれる。皆太助と同じ集落に住む者達だ。 「お前の怖がりは全然治らないなぁ」 今年16歳になる清彦(きよひこ)は、太助と同じ年の幼馴染み。笑いが混じった声で太助を見下した次の瞬間、清彦の天と地がひっくり返った。  足を払われバランスを崩した清彦は、次の瞬間には一人の少女に頭をつかまれ、泥田と口づけしていた。 「(ゆき)だ…」  名前を呼ばれた少女。名前の通り透き通るような肌と顔立ちは村一番の聞こえもあったが、腕っぷしのせいで“惜しい”という評価にとどまっていた。  雪の登場で、それまで太助を笑っていた少年達はそそくさと田植えを再開させていく。  泥まみれの太助を起こしながら、 「太助がもっとおじさんみたいだったらなぁ……」  とつぶやく。雪が「おじさん」と言ったのは、太助の父、大吾(だいご)のことだ。大吾は農夫だったが剣の腕がたち、戦で手柄を立てたこともある。村でもリーダー的存在で、人を惹きつける魅力もあった。だが――。 (もういない人のことを言われたって……。) 声に出さない代わりに溜息が漏れた。 「ほら、みんな仕事に戻って」 雪の一言でしぶしぶ田植えに戻る村人たち。するとどこからともなくにぶい音とともに水しぶきが立った。また太助か。全員がそう思った。だが太助は泥だらけではあったものの、すでに立ち上がっている。  また別のところで水の音がした。全員が音のした方を見る。さっきまでその場所に立っていた村人の1人が田んぼにうつぶせになっている。  それを皮切りにして、パタリ、パタリと、村人が泥の中に倒れていく。かかしではない。生身の人間だ。  人や風に押されたわけでもない。4人、5人、6人と次々に崩れていく。その異様な光景は、そこにいた全員をしばらく呆然としていた。理解が追い付かなかったのだ。 「おっかあ!」 清彦の悲声が引き金となって皆が我に返ったが、すぐに阿鼻叫喚の渦に引き込まれる。 「誰か来てくれぇ!」 「こっちもだ! 早く!」 「目を覚ましてぇ!」  あちこちで悲鳴と助けを呼ぶ声が上がりだす。太助は恐怖で全身がすくみ、ただ立ち尽くしていた。すると目の前に立っていた雪が小さなうなり声をあげ、太助の方を向いた。 「た……たすけ……」 目は焦点を失い、体のバランスが狂い始めていた。 「雪!」  声は出た。手も伸びた。だが足が恐怖でもたつき、また派手な水しぶきを上げた。  太助の手は届かないまま、目の前でゆっくりと、雪は崩れ落ちていった……。 「21人か…。村のほぼ半数とは厄介なことになったのう……」  村に唯一ある寺の拝殿。無事だった男たちはこの寺の和尚に救いを求めた。村長と並び、村人の顔役として通っている人物だ。  不安そうに円座を組む中には、太助をはじめ、騒ぎを聞きつけてやってきた村長もいた。 「皆、体に赤い斑点ができ、高熱にうなされております。薬効のある草を煎じて飲ませるなどしておりますが、まだ目立った効果は無く……」  ほぼ白髪だがきちんと結った髷の村長からの報告に、はげた頭をぬぐう和尚。 「和尚様! やっぱり流行り病でしょうか?」  母親が倒れた清彦が泣きそうな顔で迫るところを、神妙な語り口で返す。 「何人かの容態はわしも見させてもらった。確かに流行り病じゃが……。これはかつて幻の奇病、“赤眼病(あかめびょう)”と呼ばれたものに違いあるまい。放っておけば命が危うい」 「和尚様! どうか、どうかおっかぁを……!」  清彦が声を絞り出すと、和尚は腕を組んで静かにつぶやいた。 「助かる方法が……、無いわけではない」 ざわつく一同。 「1つだけ……。“冥府の妙水(みょうすい)”があれば、な」 「冥府、というと……」 村人を代表して恐る恐る尋ねる村長。 「そうじゃ、“あの世”じゃ。あの世にある“慈悲の泉”。その水をくんで飲ませれば、流行り病とてたちまち良くなるじゃろう」 「しかしあの世など、我々に死ねというおつもりか?」 「……百鬼夜行じゃ……。化け物になりすましてあの行列に潜り込めば、やがて慈悲の泉へとたどり着く。そして奴らに見つからぬよう戻ってくる。方法はこれしかない」 「もし……化け物に見つかったら……?」 村人から挙がった当然の質問に和尚はゆっくりと首を振った。 「命は無い」 一同は息を飲み、その直後から小声でその計画の無謀さに落胆した。  百鬼夜行――いつからかこの村に現れるようになった、魑魅魍魎の大行列。年に数度、満月の晩にだけ現れ、関わった者は死ぬと言われていた。実際、村では野良犬や獣の変死体が何度か見つかっており、この寺では毎年慰霊のための儀式も行われている。 「化け物の巣に行くだなんて無茶だ……」 「命がいくつあっても足りやしねぇ」 村人たちの声はもちろん和尚や村長の耳にも届いていた。重々しい空気が仏殿を飲みこんでいく。 「あ、あの!」  並んだ頭の中から突然、タケノコのように手が生えた。  全員が振り向く。太助だ。 「お、俺……、いや、僕が行きます!」 「正気かバカ野郎! お前なんか行ったらすぐ死ぬぞ!」 眼前でどなる清彦に太助は、 「誰かが、やらなきゃ……」  そう答えた太助の瞳は、すでに未来を見つめていた。
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