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私は後ずさり、パントリーに向かう。棚の一番奥に手を伸ばす。
そこにあるのは、あの薬だった。
これを使えばいい。いつもと同じように、これを飲ませれば済むことだ。
嫌……嫌だ……。
頭に浮かんだのは、あのホテルから2人で見た、黄金の海のような東京の街並みだった。
私は、床にしゃがみこんだ。
「えり子、どうした?」
戸口からのぞきこんだ純平が、私を抱えて店に連れていき、椅子に座らせる。
「やっぱり、あのシェフは君だったんだね。始めは他人の空似か、お母さんかと思ったんだけど」
「……どうしてわかったの?」
純平も私と並んで椅子に座る。
「顔のほくろが同じだ。それに、店の名前は『マーメイド』だった。そしてここが『シレーナ』、どちらも人魚だ。えり子は……人魚? それとも、まさか人魚の肉を食べて、不老不死になった?」
あながち間違ってはいないけれど、そんな荒唐無稽な話を信じているのだろうか。
私は弱弱しく、首を横に振る。
「えり子、僕は責めてるんじゃないよ。もしできるなら、君の背負っているものをいっしょに背負いたいんだ。事情があるんだよね?」
何を言っているのだと思った。
「そんな大事なこと……軽々しく言ったらだめよ」
「どうして? 愛するって、そういうことだろ?」
純平の目は、真っすぐだった。怒ってもいなければ、泣いてもいない。
ただ、平静だった。
私は、あふれてくる涙をどうにもできなかった。
信じたい。
この人を、未来を信じようと思った。
「私が人魚から奪ったのは、声よ」
「声? ああ、確かに魅惑的な声だ」
純平は椅子を寄せると、私を抱き寄せる。
「では、僕もその声をもらうとしよう」
純平は口を開けて、私の口を覆う。
私はかろうじて、言葉を発した。
あ、い、し、て、る……。
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