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大きな通りから一筋入った突き当りに、私の店「シレーナ」はあった。
イタリア語で「人魚」という名前だ。
オーナーシェフは私だけれど、スーシェフは都築というベテランのシェフに来てもらっている。店のオープンを控えていた時に、ふらりとやってきて、使って欲しいと言った。彼はイタリア大使館で腕を振るった経歴の持ち主だった。
古い小料理屋を格安で改装してもらった。一応見た目は、イタリアの食堂のトラットリアに見える。
私は店の2階に住んでいる。畳敷きの江戸間のままだが、どうせ私一人だ。寝られればそれで十分だった。
店を開けている日は、ランチとディナーの間でも、仕込みに忙しい。それで純平には、定休日の水曜日に来てもらった。店の経営状態を説明し、改善策を考えてもらう。台帳の数字を見ただけで、素早く的確に指摘してくる。その手腕の高さに舌を巻いた。
仕事の時の切れ者の表情が、料理を前にすると、途端に崩れる。私が有り合わせで作った料理を文字通り、モリモリと食べる。
「もうちょっと、味わって食べてくれてもいいんじゃないかな」
「うまいものは、うまい。温かいものは、おいしいうちに食べたいですよ」
見る間に皿の中身は平らげられる。それは気持ちいいくらいだ。
年は39だと言った。始めは結婚指輪をしていたように思ったが、気付けば何もつけていない。私の年も聞かれた。同い年ということにしておく。
純平は、話題が豊富だった。本も数多く読んでいて、私の読んだ本と重なる。
初めて会ってからひと月ほどたった頃だった。話題にのぼった本が気になった。
「ちょっと、2階から取ってくるから、待ってて」
棚から目当ての本を取り出し、戻ろうとすると、戸口に純平が立っていた。部屋にはあまり物を置かないようにしている。スッキリと暮らしているつもりが、その日はなぜか寒々しく見えた。プライベートの空間を見られ、裸を見られているようで恥ずかしい。
「待っててって言ったのに」
「えり子のこと、抱きしめたい……」
純平の声は熱を帯びている。腕をつかまれ引き寄せられる。
「そんなこと言われたら、私は断れないよ……」
そのまま、そこに倒れこむ。
こうなることは、始めからわかっていた。
いや、こうなるように仕組んだのだもの。当然だった。
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