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―どうして…?どうしてこれから死ぬ私ではなく、実が泣く?
―約束を守らなかった私は、実に激高されるのではなかったのか?
―約束を守らなかった私は、実に手放されるのではなかったのか?
…嘗て兄上が、私にそうしたように――
春四郎は、自身の身体が小刻みに震えているのが分かった。
自身の腹の底には今…烈火で炙られた熱い想いが煮えたぎり、今にも口を突いて出て行こうとしている。
駄目だ、駄目だ、私は一体何を言おうとしている?
私がこれを口にしてしまえば…私の武士として歩んできた道を全て否定してしまう事になる。…これを言ってしまったらもう、私はきっと武士の身へ戻ることはできなくなる。
いいのか?それで
本当に、いいのか…?
「あぁ…」
しかし、春四郎の眼が泣き濡れた実の双眸を再び捉えると、抗いがたい感情が荒波の如く押し寄せて、春四郎の自制心を根こそぎ奪い去っていった。
空っぽになった、春四郎の胸の裡。
そこへ長あいだ心の奥底に仕舞い込んだ想いが、湧水の如く湧き出してゆく。
それは、瞬く間に胸一杯になってしまって。
気付いた時にはもう…その溢れそうな想いを絞り出すように、春四郎は口を開いていた。
「私は…本当は…武家の家になど生まれたくは無かったっ!武家のしきたり、武家の意地、そんなものばかりに囚われた者達の中で生きた私の人生は、生ける屍の如く味気ないものだった。
…本当はいつもうんざりしていたのだ。人にへつらう事も、武家の男ならどうするべきか、いちいち考えて動くことも…全部全部、嫌で嫌で仕方が無かった。…けれど兄が―…私を唯一可愛がってくれた兄が、そう教えてくれたから。…だから、だから私は――」
喉元がヒュッと悲鳴を上げるように、一瞬詰まった。
…しかし堰を切ったように溢れ出す感情を、春四郎は自分の力で制御できない。
「あっ兄が!…兄が私をどう見ているか、毎日不安だった…ッ!優しくて優秀な兄が好きだったけど、怖かった。…清廉潔白の兄はいつも正しい。けれどその正しさに従うことが…いつの間にか苦しくなっていた…」
「……」
実は只々目を見開いて、春四郎の言葉を聞いていた。
圧倒的に言葉が足らず、自分が支離滅裂な事を言っている自覚はあった。
…けれど、どうしても聞いて欲しかった
実にだけには、自分の本当の気持ちをどうしても――
ハァハァと息を荒くする春四郎の視界に、階段横に咲く敦盛草が映り込む。
格下の直実に自身の名を名乗らず助けも乞わず、武士としての意地を貫き通した、平敦盛を模した敦盛草。
最期まで誰に助けを求めること無く死んでいった敦盛は…武家の男の模範を絵に描いたような男であったに違いない。
…けれど私は?
私の本当の想いは――?
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