兄の心根…春幸視点

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「…そういえばその後、春四郎の様子はどうだ?息災か?」  務めて明るく尋ねたつもりだった。  だが春幸がこの件を尋ねる時だけは、常に冷徹無比の重蔵の目元が少し揺らぐ。…しかしそれも一瞬で、不意に平静を取り戻した重蔵は、いつもの抑揚の無い声で春四郎の話を始めた。 「はい、日々平安に過ごされているご様子です。昨今は小瀬崎(おせざき)海岸近くの千本松町(せんぼんまつちょう)でその盗人と―(いな)、今は漁師を生業としている男と共に長屋暮らしをされております」 「‥‥…」  自分から話を振っておきながら、毎回重蔵の話すその内容が春幸の心を抉ってくるのに、どうしても春四郎の様子を聞かざる終えないでいた。  だが此度の内容が、春幸の胸に一番(こた)えた。 ―あの春四郎が、何処の馬の骨ともわからぬ男と共に暮らしを… 「あ…ああ、そうか」  やっとの喉奥から絞り出すように答えた春幸は、気を逸らすように手元の扇子を何度も開閉させた。すると(せん)まで華やいだ音を響かせていた鈴の音は、途端にけたたましい音色に成り代わる。  カッとなった春幸はそれを投げつけようと腕を振り上げたが―― 目の前の重蔵が刺すような眼差しで春幸を見ていたので、その手をおもむろに下げ、膝上で硬く拳を作った。 「そ、そうか、そうか。―…それは、うん、何よりだ。しかしそれならばもう、春四郎の件は落着したな。重蔵、お前はもうこれ以上、春四郎を張らなくてよいぞ」 「…はっ」  まるで重蔵の前で丸裸にされているような居心地の悪さを感じながら、春幸はひたすら平静を装った。  すると重蔵が、春幸の後ろの屏風を一瞥した後ハッと目を瞠り、あからさまに視線を逸らした。 「殿、此度は全て私の不徳の致す所です。諸々の処罰はこの重蔵に何なりと」  畳に額が擦り切れるほど平伏した重蔵を見た春幸は、それは二月(ふたつき)ほど前に隠居屋敷に押し入ってきた盗人を、重蔵が取り押さえられなかった事を意味しているのだと理解した。 「何を申すか。お前が取り逃がした盗人のお蔭で、春四郎はこうして今も生き永らえておるのだ。まさに怪我の功名ではないか」  春幸が震える声でそういうと、重蔵が平伏しながらグッと息を詰めたのが分かった。  互いの腹の内を理解しているにも関わらず、繰り返されるこの茶番に辟易するも、どうしても辞める事はできずにいる。  あの時ずっと隠居屋敷で春四郎の動向を見張っていた重蔵が、盗人一人取り逃すはずがない。重蔵が盗人が押し入るのを止めなかったのも、二人が手に手を取って隠居屋敷を後にしたのを見逃したのも…全て重蔵の采配に違いなかった。  春幸は自嘲的にフッと笑うと、「(おもて)を上げよ」と重蔵に促した。 「気に病むな重蔵。春四郎の件、此度も誠に大義であった」  春幸が泣く様に笑うさまを見て、眼を見開いた重蔵は再び(うつむ)いた。 「…失礼仕ります」  唸る様に言った重蔵は再び深く平伏すると、そのまま黒蝶の如く夜空に舞い上がり、瞬く間に闇の中へ消え去った。  重蔵の姿が見えなくなった途端、身構えていた全身の力が抜ける。  春幸は脇息にドッと凭れると、呆けたように遠い眼をした。 「…そうか、あの春四郎が―そうか…」  幼い頃から臆病者で、何時も何かに怯えていた様な春四郎の姿を思い出し、春幸は腹を抱えてクスクスと笑い出した。 「あの春四郎がなぁ、榎本に居た頃では考えられん……」 脳裏に蘇る、あの時の出来事。 春幸が後ろを振り向いて屏風を眼にすると、(せん)とは打って変わって、苦々しい面差しになった。
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