しょうちゃん

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しょうちゃん

しょうちゃんとのデートは、必ず札幌地下街の三越前で待ち合わせ。 愛子はこの日、買ったばかりの薄ピンクのツィードのワンピースにベージュのバックスキンのロングブーツ。 通販で購入したオフホワイトのロングダウンコートと、年甲斐もなく『Samantha Thavasa』のピンクのショルダーバッグ。 精一杯、お洒落した。 誰も愛子の年齢など分からない。 それくらい若く見える。 ドキドキしていた。 遅い 大雪降ったから、千歳線が遅れてるかな まさか、来ない? ラインしてみる? しょうちゃんは、千歳市に住んでいた。 札幌まで出てくるにはJRかバス。 車で来る事もあるけれど、スタッドレス履いても、アイスバーンはとても危険だから、冬場は電車。 それに、今夜はかなり冷え込む。 01f5f40c-4a56-470b-bd74-fb942a7e6e2a17cb7142-c798-4e8c-b498-3bcbf48fddae 愛子は地下鉄大通り駅ホームから階段を上がってきた背の高いしょうちゃんの姿を見つけると、大きなゼスチャーで手を振った。 良かった! しょうちゃん、来た! 身長185センチ、体重も重め、ほのぼのとしたイケメンの独身男、斎藤章大、44歳、 A型。 職業、設備屋さん。 詳しく説明すると、家やマンション建設の時の台所やお風呂などの水回りを作る人。 水道まわり。 「悪いね、遅くなった。電車遅れてさ」 彼は黒いダウンジャケットに、いつものジーンズ。 セーターが新しい。 「大丈夫だった? 私もさっき来たんだ。ねぇ、お腹空いてるでしょ? 何食べる?」 「腹? そうだな。何食う?」 章大は、見違えるような綺麗な服装の愛子に見とれてしまいそうだった。 自分とは正反対の女性・愛子を、友人以上恋人未満の微妙な関係で居る事に、不思議な安心感もある。 手が届くけど、届いたその後は、ふたつにひとつだ。 結婚か、別れ。 万が一、付き合ってから気持ちが離れ、もう会えなくなるなら、このファジーな関係が良いのかもしれないな、なんて考えていると、背の低い愛子は、彼を見上げながら、言った。 「『蟹道楽』の食べ放題が2980円で飲み放題も付いてるよ。新年会時期だから、何処も混んでるかもね」 愛子は、久し振りに会えたしょうちゃんの顔を見て、自分の気持ちを再確認した。 「とにかく、いつもの方向へ行くべ」 `いつもの方向´ とは、ススキノ方面の事。 3db1acbc-62c4-4dfa-a314-a1775ee4c399 愛子と章大は札幌地下街をススキノ方面へ歩き出した。 数分でポールタウンの出口に来て、ススキノに出ると、いきなり焼き鳥のいい匂い。 なんていい匂いなんだろうか、と愛子は焼き鳥風味の空気を思い切り吸い込む。 「焼き鳥行くか?」 章大は、このビルの二階にある、有名な焼き鳥居酒屋の事を言っている。 「うん、いいよ、行こう」 愛子は彼に遅れをとらないように、早足で歩いた。 一瞬、ヘルパーさんにお願いして来た認知症の母の事が頭に浮かぶ。 今夜、しょうちゃんと会うために、何日も前から準備してきた。 今夜の母の食事とヘルパーさんの食事とおやつ。 ヘルパーさんに嫌われないように、母の寝床は新しい布団にしておいた。 母の爪と髪を切り、昨日ディサービスでお風呂に入れてもらった。 今日は、母は真新しいパジャマとキルティングのハンテンを着てご機嫌だったから、愛子はホッとして街に出てこれたのだ。 「何考えてる?」 彼は、美味しそうにネギマを何本もペロリ。 「ううん、何も」 店内は焼き鳥の煙で充満していた。 愛子は、新調したばかりの洋服が焼き鳥臭くなるのが気になったけれど、大好きなしょうちゃんと一緒に焼き鳥臭くなるなら、いいと思う。 「雪が少ないから、雪祭りどうなるんだ?」 ボソッと呟いて、一瞬じっと、愛子の瞳を見つめたその顔は真顔だったから、愛子の心臓はドキッとした。 雪祭りの心配をしているのに、真顔で見つめられると、恥ずかしくなる。 だって、そうよね しょうちゃん、私達付き合い長いけれど キスもしてないんだよ だから、ドキッとするの 「砂肝食べる? 私はレバーがいいな」 「愛は貧血だべ、一杯食え」 fc8bf5a1-7ddb-4ee7-ae46-e4377fd40ee4 彼は整った顔立ち、スタイルも良い。 高校を卒業してからずっと同じ設備会社で働いている。 6年位前までは彼女が居たのに、結婚しなかった。 何故、別れたのか知りたいけど、愛子は聞かない。 お座敷の座席で章大は、長い脚を持て余すように伸ばしたり、あぐらをかいたり。 安い熱燗で、すっかり体はポカポカだ。 「何時までいいのさ?」 「えっ?」 「今夜、何時まで俺と付き合えるの?」 章大の質問に、また愛子の心臓はドキッとする。 それ、どういう意味? 朝まで一緒にいられるか?って事? 朝まではムリ ヘルパーさんは10時までだし 「うん………それとも、しょうちゃん、今夜、うち来る?」 愛子は構わないと思った。 明日は日曜日、お互い休みなのだから。 「愛のところ? 悪いべ。それは」 「全然悪くないよ、せっかく札幌出て来たんだから、すぐ千歳帰るのは」 章大は少し考えていた。 そして優しい表情で 「そしたら、寄るかい、せっかくだから」 焼き鳥居酒屋を出た。 寒いけど、寒くないのだ 札幌の人間は不思議な体感温度を持っている。 ススキノで大酒を飲み、マイナス5~7度の雪降る深夜、地下鉄やタクシーで帰宅する。 酔っているから寒さを感じない。 ウォッカをあおり、シベリアの極寒と戦うロシア人のようだ。 ススキノで酒を飲んで盛り上がる事の重要さは、決して内地の人には理解出来ない文化だ。 ドカ雪が降ってもススキノへ出掛ける。 愛子は章大とススキノの繁華街を歩きながら、少し不安になった。 今夜来てもらっているヘルパーさんは、人材派遣サービスからの人だから、サバサバしていて、大丈夫だと思う。 認知症の母をヘルパーに預けて、結婚しなかった娘はススキノへ出掛け、男を連れて遅く帰って来た事に関して、軽蔑したりするだろうか。 ふと、愛子は考えていた。 章大はそんな愛子の心の中をどれだけ読み取っているかは、判らない。 判らないのだけれど、彼は突然、長い腕を愛子の背中に回し、自分の体に抱き寄せるようにして歩き出した。 まるで外国の恋人のように。 「………!」 愛子の胸はキューッとなる。 神様、お願い このまま、恋人になれますように 愛子はススキノの繁華街をしょうちゃんに肩を抱かれて歩きながら、神様にそうお願いした。 db42d523-9ade-438e-9995-447ab2d6d1ee お願いしたのに。 彼はその夜、愛子の家に着くと、帰るヘルパーさんに丁寧な挨拶をして、認知症の母にも挨拶をして。 そして、愛子が店の棚から持って来た十勝ワインと余市ワインをガバガバ空けて、そのまま炬燵に眠ってしまった。 「……………………風邪ひくから、布団ひいたからさ、こっちで寝たら?」 愛子は、居間の横の和室に、章大のために布団を用意した。 大きなイビキが響きわたる。 よほど仕事で疲れているのだ。 「………………」 愛子は眠った母の様子を確認して今のところに戻り、しばらく彼の寝顔を見ていたけれど、諦めた。 やだ、私ったら 何を期待してたの? いいじゃない、来てくれたんだから 愛子は厚地の布団を彼の体にかけてやり、自分も自分の部屋で眠る事にした。 猫の小雪と、コミルが、章大に炬燵を陣取られて、愛子のベッドに上がって来た。 「よしよし、小雪、ごめんね。コミルもな。男の匂いは慣れないから、落ち着かないかな? でも、いい男でしょ?」 小雪は愛子の言葉をじっと聞いて、目を細めて消えるような声で「ニャ」と返事すると、体を丸めた。 コミルは落ち着かなそうにして、居間の様子を伺っていたが、やがて体を丸めた。 二匹が布団の上に乗ったまま、愛子は眠りにつこうとしたが、猫の重たさと、章大が家に来ている事のトキメキで、眠れなかった。 明け方、一時間程、うとうとしただけ。 90810adb-5b36-4f62-8821-ae6c34c2752f
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