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・うかぶ。
――今日。僕たち、わたしたちは、卒業します。
その言葉を口にした時、俺の脳裏には、自分でも驚くほど自然に、レンナの顔が浮かんでいた。それも、今のレンナではない。まだ出逢って間もない頃のレンナだ。
当時――小学校3年生の頃、レンナは俺の通う学校に転校してきた。
もちろん、今から6年も前の事なので、もし誰かに「その頃のきみはどんな小学生だったの?」とか「どんな日々を過ごしていたの?」などと訊かれた日には、「よく憶えていないです」と答える他ないのだが、あの日だけは、別だ。
あの日、あの時の事だけは、今でも鮮明に思い起こす事が出来る。それほどまでに、レンナは俺にとって、印象深い存在だったのだ。
「――名前は、レンナです。
わたしは、人間ではありません。
ひらたく言うと、バケモノです。
みんな、これからよろしくお願いします」
教壇の上で、まるで「趣味はピアノを弾く事です」とでも言うかのような自然さで『そんな事』を言い放ち、何食わぬ顔で自己紹介をしめくくり、ぺこりと頭を下げるレンナに対して、俺を含めたクラス全員が、拍手をする事も忘れ、言葉を発する事も忘れ、ただ、ぽかんと彼女の事を見ていた。
――もちろん、俺も、みんなも、
『この世には人間ではない存在がいる』
という事を。
そして、
『それらが人間に混じって普通に生活をしている』
という事を。
廻りの大人たちから『それとなく』教えられてはいたので、なんとなく、知っては、いた。
けれども、レンナの言葉は、あまりに唐突で、強烈で――教師から事前に『そういった転校生が来る』という事を教えられていたのならまだ違った反応をする事が出来たかもしれないが、あいにくそれすらなかったわけで、俺たちは、なんと言うか、本当に、時間が止まったようになってしまったのだった。
「――あ」
とん、という音と共に、俺の机の上から、消しゴムが落ちた。瞬間、頭のてっぺんから、ぐわっと嫌な汗が噴き出す。
なんて、間が悪い――と考える間もなく、俺の消しゴムは小さく跳ねながら床をどんどん転がっていき、それは偶然にもと言うべきか、残念ながらと言うべきか、彼女の足下にまで跳んでいった。
――彼女と、目が合う。
栗毛の長い髪に、少し赤みがかった、澄んだ瞳。長いまつげ。
その、おそろしく整った人形のような顔立ちは、『魅力的』という言葉を通り越して、まるで吸い込まれてしまうかのような、ある種トラウマのような感覚を、俺の脳にすり込んだ。
「…………」
俺の時間は、またしても止まってしまったのだが、彼女が腕を伸ばして消しゴムを拾ってくれた時、再び動き始めた。
――腕を伸ばした。
『腕を、伸ばした、のだ』。
「はい」
彼女は教壇に立ったまま、そこから机3つ分くらい離れたところにいた俺に、消しゴムを、『手渡して』くれた。
放心する事数秒、無意識に、反射的に、「ありがとう」と言っている。
「どういたしまして」
レンナが、にこ、と笑う。
それに対して、俺は笑い返す事など出来やしなかった。
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