気弱な僕とバット男の話。

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あの日、あの道を通らなければ、あんな思いをしなくても良かったのに。 しかし、事実は変わりはしない。 過去は変える事等できやしないのだ。 忘れる事はできても。 自分の中で消す事はできても、事象は存在しているし、関係者の記憶にも残る。 起きてしまった事は変える事は出来ない。 これはそんな話だ。 いつもの仕事の帰り道。 僕は急いでいた。 約束があったから? 大事な人? 重要な話? 内容については割愛させて頂く。 その後の話に意味はない。 それまでの話が重要なのだ。 だから危険だとわかっていてもその道を通った。 いや、差し掛かったという方が正しい。 何故なら、僕はこの道を越えられなかったのだから。 そいつは道に入って急ぐ僕の前に現れた。 通称バット男。 この界隈を騒がせる通り魔だ。 生憎と死者は出ていないものの、意識不明の重体になった人もいる。 多くの場合は打撲や骨折程度だが、時折、重症にまで追い込まれる事もあり、類似犯もいるのではないかとも言われている。 目の前の男が類似犯か本物かは僕にはわからない。 だが僕を目の前にして不気味に笑う男に害意があるのは一目瞭然で僕は即座に走って逃げた。 自慢じゃないが僕は足は遅い。 おまけに体力も無い。 男は笑いながら追いかけてくる。 追いつかれ、振るわれるバットを何とかよけながら僕は逃げ続けた。 何度か危ない時もあったが、何とか避けてここまで来た。 この廃工場まで。 バット男の姿はない。 そして僕は愕然とした。 逃げ切れたんじゃない。 追い込まれたんだと。 入口は一カ所のこの廃工場、どこかで奴をやり過ごす以外はここからは出られない。 だが、本当は逃げきれているのではないかと甘い幻想を抱けたのは一瞬だった。 遠くで奴の笑い声が聞こえる。 笑い声はゆっくりとこちらに近づいてくる。 僕は逃げ出して隠れた。 隠れる事しか考え付かなかったから。 笑い声はどんどんと僕に近づいてい来る。 (来るな。来ないでくれ!) 思いとは裏腹に、笑い後は近づいてくる。 時折、鈍い金属音が響き渡り、僕の恐怖は増大していく。 どうしたらいいかなんか考え付かない。 ただ、やり過ごせる事を僕は願った。 だが、笑い声と金属恩は近づいてくる。 もはや何も考えたくない。 僕は思考を停止した。 どれ位の時が立ったのか? 僕は気を失っていたのか? それとも。 「イチロー!」 声が聞こえる。 誰が呼んだのだろう? 神か? それとも? 「さっさと逃げろ!!」 どこか聞き覚えがある。 「そんなに持たねえぞ!」 鈍い金属音が近くで響く。 「晴耕!」 「わかってんならさっさとしろ・・・っ」 鈍い金属音がまた響き、奴の笑い声が響く。 僕はようやく状況を理解した。 まだ廃工場にいる。 そして外には晴耕がいて奴と。 だがどうしたらいい? どうすべきか考えがまとまらない。 「逃げろって!」 そう言われても。 「早くしろ!このチキン野郎が!!」 そこまで言わなくてもと腹が立ちつつも、僕は恐る恐る隠れている場所から移動し、外の様子を伺う。 外には奴と、友人の晴耕が短い棒を持って対峙している。 奴が大降りにバットを振り回し、晴耕はそれを避け、打ち込むが、その攻撃を男がバットで受けて、晴耕は素早く下がる。 奴は晴耕を追って大降りを繰り返し、晴耕は攻撃を避けるだけになる。 「晴耕!」 僕は晴耕が心配で思わず叫んだ。 途端に晴耕の顔が青くなる。 僕がその理由を理解するのにそう時間はかからなかった。 奴は僕の方に振り返って笑いながら猛然と迫る。 恐怖で立ち尽くす僕。
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