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私の住むところは、昔、とても小さな村で、ほんの二十年ほど前までは閉鎖的で、産業も特にない、高齢化まっしぐら。代々この地域に住む同級生の内村から聞いても、学校の郷土史の授業で習っても私には実感が湧かない。今は、ニュータウンとして開けている。
私が生まれる前、この街から見える蜥蜴のような形の山で、金の採掘が再開された。昔は住民がほそぼそと採っていたらしいが、いつのまにか廃れたそうだ。不思議なことに、埋蔵量の四割弱は手付かずのままで。そこに目をつけたのが父の勤める会社だ。倒産寸前だったが、一発逆転狙いで山を買い取り、運よく成功したのだ。おかげで私は、不況であるにもかかわらず、貧乏ではない暮らしをさせてもらっている。
「バケモノに食われるぞ、避難を始めろ!」
中学最後の二学期が始まってから数日後、ホームルームが終わって地理の授業の用意を始めた私の耳に、外から大きな声が聞こえてきた。私やクラスメートが窓から覗くと、運動場の真ん中に九十前後の老人が立っているのが見えた。
「先週、竜が鳴いたんだ!明日は危険だ!」
小・中及び公民館共有の運動場は、三方をそれぞれの建物に囲まれている。それらに向かって老人は必死に声を張り上げていた。
「なんだ、あれ?」
「さあー認知症?」
「うっせーなあ、誰か止めてこいよ」
「あ、あれ。山門地区の吾郎じいさんじゃん」
何事かと騒ぐ皆の中で、内村がポツリと言った。
「内村、あのお爺さん知ってる人?」
私が聞くと、内村は頷いた。
「ウチの婆ちゃんの知り合い。時々、山や農水路の話をしに家に来てた。婆ちゃん死んでから、来なくなったけれど」
内村の家は父親が鉱山で働きだすまでは、代々農家だったらしく、今でも自分の家の食べる分くらいの田畑を耕している。
「偏屈でさ。同世代くらいしかまともに話さないんじゃないかな。家族もいないし」
「いつもあんな感じ?」
教師や公民館の職員が老人に近づいて宥めている光景を指差しながら言うと、内村は微妙に首を傾げた。
「うーん、婆ちゃんがいた頃にはあそこまで大騒ぎしたことなかったなあ」
始業のチャイムが鳴った。
「皆座ったな、授業を始めるぞ」
地理担当の小林先生が教科書を手に持ちながらそういうと、前から三列目の席の田中が手を上げた。田中の父親は鉱山でも重要なポストらしく、親の七光はこのクラスで発言力があるのだ。
「先生、さっきのジイさん、何だったんですか?」
「ああ、郷土史の授業で習わなかったかい?ここら辺で大昔、土砂崩れがあったそうだよ。いつの間にか起こらなくなったそうだけれどね。あのご老人は、それを忠告しに来てくださったそうだよ。先週、大雨が降っただろ」
「竜とかバケモノとかは?」
「この地域に伝わる話らしいよ。雨の多い日に竜の鳴き声が聞こえると、バケモノに食われるって言うね。日本では、多くの地域で災害を言い伝えているからね。もしかしたら、バケモノは大雨の事かもしれない。一応気を付けておいてね」
「先せーい、今、IT社会な現代ですよ。災害だって大丈夫だって。なあ皆ぁ」
そうだそうだとケタケタ笑うクラスメイト達を見ながら、苦笑いの表情で先生が教科書を開いた。その時、遠くからポーンという鈍い音が聞こえてきた。私が窓をの外を見ると、蜥蜴の山に黒い雲が近づこうとしていた。見ていたのは、クラスでは内村と私だけ。
「明日は休みになったんだ」
その日、私が家に帰ると珍しく父が早く帰宅していた。雨雲が空を覆っていたが、雨はまだ降っていない。
「ふーん。どうしたの?」
冷蔵庫からジュースを取り出しながら私が聞くと、リビングのソファーに寝そべりながらテレビを見ていた父は、顔をこちらに向けた。
「明日、大雨が降るらしくてね。坑道が水没するかもしれないから、今日は機材を高台に移す作業だけして、明日は念の為に休むんだそうだ」
「あらあら。それじゃあ、食事はどうしようかしら。明日、買い物に行こうと思っていたから、あまり冷蔵庫に食材がないのよね」
だらける父の側で、洗濯物を畳みながら母が困ったように言った。
「それなら、お前も行くか?今晩、内村さんの家で飲もうかと誘われているんだ。人手不足で廃れていた祭を復活させようかという話があるんだとさ」
「お祭りですか?」
「ああ。なんでも、土地神様のお使いである竜に農作物やジビエを捧げる秋祭りらしいよ」
「竜?」
父の口から竜という言葉が出て、驚いた。タイムリーすぎる。
「ああ。無事、作物が取れましたと感謝して、その後に郷土料理を村人全員で食べていたそうだ。その料理を今日作るから、一緒に食べようと言われている」
「まあ⋯⋯急に言われても、どうしましょう。手ぶらで行くのもなんですし」
母がますます困っているのを横目で見ていると、窓の外から雨の音が聞こえてきた。ふと、今日見た老人の姿を思い出す。
「竜が鳴いたらバケモノに食べられる⋯⋯か」
私のスマホが鳴った。内村からの電話で、家族だけでは大量の料理を消費できそうにないから食べに来いってだけ伝えて切れた。
内村の父親であれば、バケモノとか竜とか知っているかもしれない。そう思った私が、
「誘ってくれたんだし、いいんじゃない?行こうよ」
と言うと、父も気軽に頷いた。
「いいんじゃないか?娘さんとお前、仲が良いんだし」
内村の家は、私達の住む新興住宅地から離れた少し高台の田畑の広がる中にポツポツ建つ農家の1つだった。納屋の横に停めた車から下りた私達家族は、小雨の中を走って大きな家の戸を開けた。
「今晩は。鈴木です」
父が中に向かって声をかけると、内村とその両親が奥から飛び出てきた。
「やあ、鈴木さん。よく来てくれたね。あの料理は大量に出来てしまうから、減らすのが大変なんだよ。助かった」
「いえいえ。こちらこそ、知らない料理を食べられるので、家族で楽しみにしてまして」
「そう言ってもらうと嬉しいよ。親戚連中が祭の復活に乗り気でね。料理もその流れで作ることになって⋯⋯」
父親同士が笑いながら話す横で、母は手土産を内村の母親に渡し、「手伝います」と台所へと向かう。父親の後ろからピョコッと飛び出てきた内村は、私の側に近寄ってきた。
「ゴメンね。ウチの父親、定期的にイイヤツってやつをやりたがるからさ」
「いやいや。ウチもここら辺出身じゃないから、父さん、仕事以外ではボッチなんだよ。ありがとう」
そんな話をしている時、雨音が急に強くなった。同時に遠くからゴゴゴゴという重い音が聞こえて来る。すると、内村の父親の顔がみるみる青くなる。
「こ、こりゃいけない。竜が鳴いている。は、早く役場に連絡を⋯⋯」
慌てて電話に向かおうとするその姿を不思議に思っていると、近くの電柱に設置されたスピーカーから大きなサイレンが鳴り響いた。
「緊急警報!緊急警報!土砂崩れが来ます!住民は速やかに高台に避難してください!」
サイレンの合間に、役場の人の切迫した人の声が聞こえてくる。内村の父が「早く2階へ」と私達を急ぎ立てる。私達は慌ててその後に続いた。山の方から流れてきた土砂を含んだ黒い水らしきものが、ドドドという音と共に、激しく街の方へと流れていく。大きな街へと続く道に流れて行く水は、私の家のある住宅地を飲み込んでいく。水は、こちらの高台へもやってこようとしたが、田畑の途中までだった。
サイレンは、いつの間にか止まっていて、家の中は真っ暗になっていた。
「ば⋯⋯バケモノに食べられた⋯⋯」
内村がそう呟く横で、私は言葉もなくただボケッとしているだけだった。
竜が鳴くとき、バケモノに食べられるというのは、昔からこの地域に伝わる災害予告の話だと、今回の事を詳しく調べた小林先生は言った。
「金脈が丁度あの蜥蜴の形の山の周辺にあるらしくてね。この地区の支配者が変わる度に採掘されるたそうだよ」
ただ、地盤が良くなく、掘り進める度に地滑りや土砂崩れが起こり、その時代の支配者は金の採掘を諦めたそうだ。
「吾郎じいさんの家は、代々この辺りの山を守っていて、村に危険を知らせる役割を担っているそうだよ」
「⋯⋯本当に助かりました。私の家族は、ですけれど」
土砂崩れに飲まれた街の被害は悲惨なもので、クラスメートやその家族が何人も亡くなった。その中に、吾郎じいさんを馬鹿にしていた田中も含まれている。父の勤める会社は多額の損害賠償を背負うらしく、今度こそ倒産するのではないだろうか。
私は今日、被災を免れた学校に転校の報告をしに来ていた。授業の再開はまだ難しく、体育館や公民館には避難している人が大勢いる。職員室だけは先生達が授業再開に向けて作業するため、以前のままの光景を残していた。
「鈴木さんは、お父さんの実家へ行くんだったね」
「はい。祖父母もそろそろ同居してほしかったらしく、丁度良かったそうです」
「鈴木さんにとっては新しい土地だけれど、頑張ってね」
「はい。お世話になりました」
私は、小林先生に頭を下げると、職員室を後にした。
下駄箱で靴を履き替えていると、外から内村が駆け込んできた。
「鈴木!引っ越すんだって?」
息を切らしながら話す内村に私は頷いた。
「うん。ウチの父さん、新しい土地で職探しだって」
「⋯⋯そっか」
「内村こそ大丈夫?村に残るんでしょ?」
内村の家は畑も無事だったので、農家をしながら村に残ると決めたらしい。少し心配しながら言うと、内村はニコリと笑った。
「大丈夫だよ。なんだかんだあっても、代々ここに住んできたからね!」
それを見て、私の脳裏にふと将来の内村が浮かんだ。
「そっか⋯⋯きっと次は、内村が叫ぶんだろうな」
「えっ!?何を」
「バケモノに食われるぞ!」
シワくちゃ婆の内村が、運動場の真ん中で元気よく叫んでいる姿が。
「避難を始めろ!って」
私の言葉を聞いた内村は、
「⋯⋯うん。私の生まれた大事な土地を守るよ」
力強く頷いた。
「ガンバレ!また、遊びに来るよ」
遠ざかる内村の田村落は、新興住宅地とは違い、高台にある。何代も続く村人達の知恵だったのだと気づいた私は、いつの間にか目に浮かんだ涙を手で拭った。
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