7人が本棚に入れています
本棚に追加
第二話 憑いてきていたのは
「こっ……こんにちは」
「はい、こんにちは」
ヒミコとは全く似ていない、かわいらしい声だ。黒いフードの下は、洋服のようで足が見えていることからも、彼女はスカートをはいていることがわかる。
「ここは“カンザキお祓い事務所”だけど間違えてない? 大丈夫?」
「だっ、大丈夫です! かんざき、いづるさんにっ……ご依頼、したくて、それで」
「……まあ、中へ入れば」
どうぞ、と手で示され、少女はコクリとうなずくと部屋の中へ入った。促されるまま、部屋の中央にあるソファに座る。伊弦は相変わらず自分の椅子の上であぐらをかいている。だが、おずおずとフードを脱いだ彼女を見て、伊弦は目つきを鋭くした。
「……え、人間?」
「え?」
「いや、フードを目深にかぶってたし、絶対化け物が自分でお祓いしてくれって言いに来たんだと思ってた」
「え???」
心当たりがなさそうな少女は、首をかしげるばかりだ。
フードをとった彼女は、薄暗い灰色の長髪にぱっちりとした黒い瞳の地味なような、いや清楚な外見をしていた。
「私は、ばけもの……でも妖怪でもなくて、その……、安斎果子といいます。十四歳」
「アンザイカコさんね」
思っていたよりも大人だったようだ。ヒミコが用意していた紙にサラサラと名前と年齢を書きながら復唱する。
「で、オレにどんな依頼?」
「私の、お母さんとお父さんを止めてほしいんです」
一瞬、伊弦は言葉に詰まる。うん、と目を閉じてうなずいて、目をあけると不思議そうに首を傾げた。
「……なんだって?」
「私のお家に、二ヶ月ほど前から……猫が来るようになったんです」
「ふむ」
「ノラ猫かと思っていたんですが、よく見たら首輪をしていて。だから、誰かに飼われている猫なんだ、と、思っていたんですけど……」
ヒミコがツイッ、と伊弦の右側へ寄りそう。視線をそちらへ動かすと、彼女が耳打ちをした。
「この子から妖の匂いがするわ。気を付けて」
「ああ」
小声で返事をすると、視線を果子へ戻す。膝の上で両手を組んでいる彼女は真剣な表情だった。
「それで、一週間ほど前に……、猫さんが、鳴いたんです。首輪をガシガシ、取りたそうにしながら。なので、わ、私……」
「取ったのか?」
「かゆいのか、苦しいのか、外したそうにしていたので……。そうしたら、猫さんがしゃべって……」
半泣きになりながら彼女がいうには、その雄猫に言われたそうだ。
『呪いを解いてくれてありがとう。これからはキミがボクの主だ』
「……うん、妖怪だな」
「ミィくんは妖怪じゃないです!」
「ミィくんっていうのか。人じゃないのに人語しゃべってる時点で妖怪だよ」
「ミィくんはミィくんなんです!」
どうやらそこは譲れないらしい。
「あ~も~」
伊弦は面倒そうに後頭部をかいたかと思えば、息をついた。
「百歩譲ってミィくんがミィくんで猫として、それがなんでさっきの依頼になるんだ? その話ぶりだと、キミは……ミィくんを怖がっていないようだ」
果子は、つばを飲み込みながらうなずいた。
「ミィくんがしゃべったのはその時だけで……、だから私の気のせいだと思うんですけど」
―……気のせいじゃないと思うけど。
とはいえず、黙ったまま聞いているよという意思表示がわりにうなずいた。
「……ミィくんの首輪をとってから、不思議なことが連続して起こるようになったんです。お父さんの車のタイヤがパンクしたり、お母さんが乗っていた電車が原因不明の故障で延々八時間止まったり」
他にも、庭に虫がわいてしまったり、先に家に住んでいた犬も突然病気で亡くなったという。
「お父さんも、お母さんも、ミィくんがきたからおかしいんだっていうんです。だから保健所に連れて行くって……」
「保健所?」
もちろん、保健所で妖怪は殺せはしない。ミィくんがそうであるならば、だが。
「保健所になんていったら、ミィくん殺されちゃう。両親を止めてください」
それは、飼い猫を思う優しい気持ちだった。状況が違えば。
伊弦はうーん、と言葉をもらしてから、ゆっくり話しかけた。
「カコさん。オレは、化け物を落ち着かせたり、お祓いするのが仕事だ。キミのお父さんやお母さんが、ミィくんにしようとしていることを止めることはできない」
「でもっ……じゃあ、どうしたらいいですか、私は……」
「保健所に連れて行きたくないなら、そうすることもできるよ」
「本当!?」
「ミィくんをお祓いすればね」
伊弦の提案に、果子は時が止まったかのように固まってしまった。
お祓いする、それは、殺すことと同義だった。
「ど……して」
「ん?」
「どうして、ミィくんをみんな、そんなふうにいうの……タイミングが悪いだけでしょ、どうせ誰も……」
次の瞬間、ヒミコがドアの方へといき鍵穴へ滑り込んだ。
「ヒミコ!?」
「鍵を閉めてるの!」
言った通り、ガチャリと音がした。ヒミコが鍵を閉めたのは、伊弦や果子を外に出さないためではない。
部屋の中にいる化け物を外へ出さないためだ。
「マジかよ、ってことは」
ポケットから白い線で五芒星が描かれた手袋を取り出すとそのまま両手にはめる。
「ヒミコ!」
「ええ!」
返事をしたヒミコが鍵穴から部屋へと戻る。そして、巫女のような姿に変化した。ドア側に立って、ミィくんとなった果子を挟むようにして立つ。
「ミィくん、ワタしの、わたシの、ネ、ネコ、なの、ニッ……」
「―アンザイカコから離れろ」
アアア、とうめくように両頬を両手でおさえる。
「猫夜叉!」
確かにあの安斎果子なのに、どうやら“ミィくん”が憑いてきてしまっていたようだ。
最初のコメントを投稿しよう!