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第三話 お祓い、お誘い
手袋をした両手で、親指と人差し指をあわせる形で底辺が下になるように三角形を作る。その中に納まるのは、すっかり猫目になってしまった安斎果子だった。
猫耳も生え、しっぽは三又にわかれ、ゆらゆらと揺れている。
薄暗い部屋の中は、夜のようになっていた。ヒミコの灯した火が電気代わりになっている。
「ああ、短い人間生だったな」
「まだ十四歳の女の子を、お前……」
果子の姿で、声もかわいらしいのにまるで別人のような口ぶりで話す。すっかり、“ミィくん”になっていた。
「ボク、そんなに悪いことしたのかな? この子は首輪をとってくれたのに」
「果子さんは、猫夜叉……猫又のさらに上級の化け物に該当する生き物だと知っていたら、首輪を取るなんてことなかったろうな」
こうなるとわかっていれば、果子の両親のように忌み嫌っていただろう。
なにせ、外見からわかるに彼は黒猫だ。
伊弦はフードのついた服が黒かった時点である程度は察するべきだったと心の中で果子に詫びる。
「ヒミコ、できるか」
「いつでも」
「よし、はじめるぞ」
三角形を作っていた指はそのままに、手をくるりと回転させて底辺を上にする。
すると、反対側にいるヒミコが大きく口をあけた。そこから光があふれだす。
それを合図に、伊弦は右手の人差し指と中指を立て、刀を作った。伊弦の“お祓い”は、陰陽師がやるものを基にして作られた彼のみが使う方法である。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」
九字と呼ばれる邪気を払う言葉を唱えながら、手で作った刀を、縦に四本、横に五本空間を切るように動かす。
「きさ、ま、陰陽師なのか!?」
「オレは、“祓い師”だ。猫夜叉みたいに、悪質な化け物をお祓いするのが仕事のな!」
まるで網のように広がる光が猫夜叉に迫る。
彼、いや彼女は逃げるように伊弦に背中を向けたが、待っていたのはヒミコの口だった。
「急急如律令呪式退魔!」
ヒミコは、パートナーであり、人魂であり、火の魂であり、
伊弦の使役する式神でもある。
「うっ、グ、あ、アアアア、アアアア!」
ヒミコの口にすいこまれる形で、黒い猫の姿が果子から抜け出していく。
光が消える頃には、ソファに横たわる果子と、彼女に向かってセーマンを描く伊弦、そして満足げに口を閉じるヒミコがいた。
部屋の中は、夜から昼へと戻ったかのように、太陽の光が電灯がわりに窓から入ってきている。
「猫夜叉の味はどうだ?」
「おいしいよ。さすが上物だねぇ、イヒヒ」
「その笑い方はヤメロ」
苦笑いを浮かべていると、果子がうめく声がした。
伊弦はそばにしゃがみこむ。
「ん……、あれ、わ、たし……」
「アンザイカコさん。分かるか? 神前だ」
「かんざき……いずる、さん」
「そう。ここに来たこと、覚えてる?」
「えっと……」
彼女は横たわったまま、ぱちくりと目を不思議そうに瞬かせた。
「……確か、ミィくんを……守りたくて……」
「……もういないよ」
「え?」
「キミが知らない間に、ミィくんはここへきた。そして、“お祓い”された」
ハッ、とした顔で、果子が伊弦の手を見る。
手袋にはセーマンが描かれているのを確認した彼女は、ゆっくりと目を閉じた。
「私、ミィくんのこと、本当に好きだったの」
「化け物でも?」
「……うん。友達だったの、家にいてくれる、友達……」
「……実は、ミィくんとはそんなに話せてないから、詳しいことは分からないけどさ」
よしよし、と彼女の頭を優しく撫でながら、囁くように伊弦が言う。
「もし、保健所に連れて行かれたら、ミィくんが苦しむのをキミが見ちゃうし、オレがお祓いするとなれば、キミは泣きながらオレを止めていたかもしれない。友達だもんね」
「うん……」
「ミィくんはどっちも嫌だったんじゃないかなあ」
「え?」
果子が、目を開いた。涙ぐんでいる瞳から、つぅ、と一筋涙が頬をつたう。
「ミィくんからしたら、キミは友達になってくれた、呪いを解いてくれたんだ。そんなキミをこれ以上苦しめるのはやめたくて……、自分のためにここまで来たキミを、無事に帰したかったんじゃない?」
果子の記憶の中は、かわいい“ミィくん”しかいない。
あのお礼を言ってきたのだって夢か何かだと思っていた。もし本当だったとしたら。
「オレは、悪質な妖をはじめとした化け物をお祓いするのが仕事なんだよ。現に、ミィくんはキミに憑いていた。憑依ね、幽霊がとりつくみたいな。そんなことをしたら、キミの人格が壊れる。だからやってはいけないこと。でも……」
一度口を閉ざした伊弦だが、珍しくニコリと笑んで口を開いた。
「……キミがここに来ることを知ったミィくんは、決心したのかもな。猫夜叉として、お祓いされること」
「ミィくん……」
ぼうっ、と天井を見ていた果子だったが、急にガバリと起き上がった。
驚いた伊弦はやや距離を取りながら彼女を見る。
「神前さん。私も、“祓い師”にしてください」
「……え?」
「お願いです。もし、私が神前さんみたいな祓い師だったら……お祓いしなくても、よかったんですよね?」
即答はできなかった。
なぜなら、彼女には“視えない”。視えることが重要だった。迷う伊弦を見たヒミコは、なぜかフフ、とからかうように笑った。
「伊弦。その子が言ったこと、覚えてる?」
「……?」
―― 半泣きになりながら彼女がいうには、その雄猫に言われたそうだ。
――『呪いを解いてくれてありがとう。これからはキミがボクの主だ』
「雄猫、ってことは、男性の声で聞こえたってことでしょう。視ることはできなくても、聴くことはできるんじゃなくて?」
「……!」
そういわれて、伊弦は初めて気が付いた。
全く、かけらが一つもなかったわけじゃなさそうだ。祓い師になるための、資格が。
「……勉強、したいか?」
「したいです」
「視たくないものを視るようになるだろうし、聴きたくないものを聴くようにもなる。それでもいいのか?」
「お願いします。祓い師にしてください。ミィくんみたいなことを、もう……他の、化け物さんに、味わわせないために」
果子の決意は固いらしい。
伊弦は、眉尻をさげて、ふぅと息をついた。
「……オレの事務所は、人気だから忙しいぞ」
「……はい!」
十八歳の祓い師に、十四歳の祓い師見習い。
二人がこれから見るのは、もっと暗くて、けれどあたたかくて、時に冷たく、ほの暗い“海中”のような。
キラキラ太陽が照らす表とは反対の、暗闇の世界。
「……私が照らすから、安心してね」
ヒミコは、鍵穴にもぐりこんで、ガチャリと鍵をあける。
新生、“カンザキお祓い事務所”の誕生であった。
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