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第2話
「ひぃくん、バレンタインのためにいろいろ頑張るって言ってたなぁ」
私が明後日の方向を見つめながらぽつりと言うと、椎名の顔がどことなく赤くなった。
「っ、ひぃくん……俺のために……? 何してくれるんだろ……」
ぼそりと吐き出したその言葉は、私と話している時とはまったく違う声音。元々口が悪い椎名だけど、理絵ちゃんや美咲の教育の賜か、外面はかなりよい。大学でも爽やかなイケメンで通ってるくらい。
それがひぃくんの前では、さらに輪をかけて柔らかくて穏やかな話し方になる。それがあまりにも甘くて優しいから私は――
も う 笑 い が 止 ま ら ん。
なんなのあの椎名の変わりよう。あんなに見ていて楽しい攻めっている? 大学の子たちはひぃくんも含めて猫っかぶりの椎名しか知らない。そして理絵ちゃんたちはほとんど素の椎名しか知らない。知っていても対友人仕様の椎名だけ。
私だけが、椎名の真の裏表を知っているのだ。素の椎名と、対ひぃくんの椎名。もう楽しくて楽しくて仕方がない。
あ、誤解されたくないのだけど、私は椎名に恋愛感情なんてこれっぽっちもないですから。
攻めとして最高の素材を持ってる椎名を観察し、時にはサポートするのが私の趣味。あくまでも観賞用として私の視界に留めておきたいだけ。
そう、椎名は『攻め』なのだから、そこには対になる『受け』が存在しなくてはならないわけ。
椎名における絶対的存在たる『受け』は、もちろんひぃくんに他ならない。
腐女子は決して受けを泣かせてはならないのだ。以前ひぃくんを泣かせてしまった時に、私は固く誓ったの。
受けを啼かせていいのは攻めだけなのだから……おっと、漢字を間違えてしまったわ。いや、間違ってない。泣かせちゃダメよ、啼かせるのよ。
――あ、でも椎名は泣かせても気にしないけどね! バレンタインのひぃくんのプレゼントを見たら、泣きながら私に五体投地で感謝すると思うし!
それからひぃくんとは何度か打ち合わせを兼ねた準備で顔を合わせた。彼は恥ずかしながらも、椎名が喜んでくれるならと笑顔で頑張ってくれた。
なんて素直ないい子なの! オタクのやることだからとあからさまに嫌悪せずに、すんなりと受け入れてくれる懐の深さと器の大きさ! 誰かにすぐ騙されるんじゃないかとなんだか心配になってしまうくらいに、人が好い子。
え? 私が騙してるんじゃないかって?
そ ん な こ と は な い。
この私が、尊みの極みである受けちゃんことひぃくんに、そんな酷いことなんてするはずがないじゃない。実際、ひぃくんったら、
『明日華さんがこういうの好きなんて、これがギャップ萌え、ってやつなんですかね』
『こういうの極めてる人ってすごいなぁ、って思います』
『バレンタインデーがちょっと楽しみになってきました。椎名、喜んでくれるといいなぁ』
って、満面の笑みで言ってくれてるんだから。
「私は女子として、ひぃくんにバレンタインのアドバイスをしてるだけなんだから、そんなに怒らないでよ、椎名」
「ぐぅ……」
私の台詞に、椎名は渋々口を閉じた。
せいぜい楽しみにしてなさいよ、椎名。
バレンタインの夜、ひぃくんとの仲はますます深まること間違いないんだから。
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