ガラスの靴

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「妻も先王も亡くなって、すっかり落胆して、あの金髪も灰を被ったような白髪に変わってしまったから社交界に顔を出さなくなったという噂もあったが」  ソファの父王はどこか苦く笑う。  社交界の花形だったエル侯爵本人について自分はただ夢のように美しい人だった記憶しかないが、同世代の父王や男性貴族たちが彼について話す時にいつも微妙に揶揄や貶めの紛らした言い方をしていたのは覚えている。  実際、社交界で他に美男だとか才人だとか評されるような人でも彼の隣に立てばいかにも浮薄に見えたり粗忽に思われたりしたのだから、同時期に社交界に出入りする同性からすれば全く有り難くない存在だったには違いない。 「そなたがまだ母の胎内にあった時、エルの妻もまた身籠っていた」  自らの手に目を落とした父王がぽつりと呟く。  パチパチと後ろの暖炉の火の燃える音が一瞬、浮き上がって響いた。 「もし互いの生まれた子が男女ならば将来は結婚させようかと冗談で語り合ったものだ」  父は潤んだ目で息子を見詰めると哀しく笑う。 「儂たちにはそなたが無事生まれてくれたが、エルたちの子は産まれてすぐ亡くなった。女の子だったそうだ」  胸の奥に杭を刺された気がした。  とうの昔に始まる前に終わったような話なのに、何故か心の中で見えない血が流れていく。 「今でも、エルのその娘が生きて大きくなっていたら、どんなにか美しく、心ばえの優しい娘だっただろうと思う」  ゴーッと暖炉の火が燃え盛る音が耳の中を通り過ぎた。  半分に割れた月はもう夜の地平に沈んでしまっただろうか。
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