全てはここから始まったこと

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全てはここから始まったこと

結納の行われるお座敷は、なんと、初めてお見合いをしたあの部屋だった。 行政と小夏は結納の目録の追加をするので忙しく、隆政と美織は時間を持て余し席に座って待つことにした。 思いがけず余裕ができ、あの時あまり見れていなかった部屋の中を今度はゆっくりと眺める。 床の間には彩色の鮮やかな高そうな壺。 その後ろに掛かった掛け軸も見事なものだ。 十畳以上はある部屋は畳のいぐさの香りがほんのりと漂い、敷きっぱなしではなく定期的に張り替えているのがわかる。 あの日この立派な部屋で隆政に会わなければ、今ここに二人は座っていなかったろう。 美織はあの日の出来事を鮮明に思い浮べる。 くねくねと曲がりくねる道を、ひたすら仲居さんに付いていったこと。 目の前のイケメンよりも行政の方がいいと思っていたこと。 自信過剰なイケメンが暴言を吐いたこと。 そのイケメンに美織も負けずに暴言を吐いたこと。 全く恋に落ちそうにないシチュエーションで隆政が何故美織を求めたのか。 それはきっと生涯かけての美織最大の謎になるだろう。 「どうした??変な顔してるぞ」 あの日と同じように座っている隆政が声を掛けてきた。 「……え、そう?……変な顔……って酷い!!」 「ははっ、変な顔してても可愛いよ」 「もうっ!……あのね、お見合いの日のこと思い出してたの」 「あー……それは忘れよう。いろいろ失言もあったし、俺にとっては黒歴史ってやつだ」 「ふふっ、黒歴史……ね。でも結局隆政さんの言ったことが本当になったわね。結婚するんだろ?俺達。ってやつ」 「あの……あまり掘り起こさないでくれ……恥ずかしくて堪らない……穴があったら入りたい」 と、隆政はプイッと横を向いてしまう。 「隆政さんが入れる穴なんて、冬眠するクマの穴くらい大きくないと無理ね」 「例えじゃないか……ほんとに穴に入るわけじゃない……」 何を真面目に答えているのか、と、美織は大声で笑った。 からかわれたのが悔しい隆政は、ふぅと何度も息を吐き、ひたすら落ち着こうとしている。 それは最初の頃、分厚い殻に閉じ籠り嘘の笑顔で誤魔化していた男の、鎧を脱いだ本当の姿。 美織はその本当の隆政をとても愛しく思いニッコリと微笑んだ。 「な、何??怖いな……俺、何かした??かな?」 何故か美織の渾身の笑顔にビビる隆政。 「……ちょっと、私の笑顔が怖いってどういうことよ!」 「いっ、いや、すごく可愛く笑うから……何かあるのかと……」 そう言って、チラチラと伺うように見、美織の笑顔のウラを必死で探そうとしている。 普段、あんなに美織の真意に気付く隆政は自分に対する好意だと途端にセンサーがポンコツになるらしい。 もちろんそんなウラなど何もない。 あるのは隆政を愛しいと思ったことだけなのだが。 (い、言えないっ!!そんなことぜーったい言わない!!) 「あ、何だ?今度は怒ってるのか?いや、恥ずかしいのか?」 (おっ!センサーが戻ってきた??) 漸く感が戻ってきたらしい隆政は、余裕の笑みが復活し畳返すように美織に詰め寄ってくる。 「何だろうな……みおが恥ずかしがること……」 向かい側からこちら側へ。 座ったままズリズリと詰め寄り、ぐぐっと美織を覗き込む。 思わず仰け反った美織の肩を掴み、鼻先が触れる距離まで近づくとそのまま低く呟いた。 「今日このままホテルに泊まる??」 その超弩級の破壊力の声に、美織は思わず「はい」と言いかけた。 だがそれは声にならず悲鳴に変わる。 美織の視線は目の前の隆政のすぐ後ろ、その肩口から目だけ覗かせた小夏に釘付けになっていた。 「ひっ、おっ、お婆様!?」 隆政も驚いて振り返った。 「うぉ!!婆さん!!びっくりするだろう!!」 小夏はふふふと目を細め、ニンマリと笑っている。 隆政はこんな顔をした小夏はろくなことを考えてないと知っていた。 そして、やはりそれは当たっていた。 「隆政さん、あなた、たまにはいいこと言うのね」 「は??」 「今日ここに泊まるんでしょう??」 「え……ああ、いや、みおに聞いてから……」 「泊まりなさいな、いえ、泊まりましょう。!ロイヤルスイートが空いているじゃない??」 ん?と、美織と隆政の顔が固まった。 みんなで、と、言ったような……。 いち早く意図を察知した隆政が、抗議の声を上げかけたが、それは援護射撃する行政に撃ち落とされてしまう。 「それはいい!!みんなで泊まって夜は美織さんと七重さんの話をしようじゃないか!!」 「まぁぁ!!なんて素敵!!わたくしたちの知らない七重さんのあんなことやこんなことが聞けるのねぇ……」 行政と小夏はうっとりとどこか遠くを眺めている。 (だから、好きすぎますっ!……もう!おばあちゃん、何とかしてよ!!) 美織は天国の七重に文句を言った。 当然答えは返って来ない。 だが幸せそうな行政と小夏を見て、まぁ今日はそれでもいいか、と隆政と笑い合ったのである。
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