再びの悪夢

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再びの悪夢

「ふわぁー……」 朝から美織は欠伸が止まらない。 窓口業務をしている間も、隙あらば出てこようとする欠伸と闘い続けていた。 そう、昨日の月曜日は……。 日曜日スーパーに行けなかったため、仕事終わりにまとめ買いに行ったのだ。 そして一週間分を纏めて保存用に調理していると、時間が経つのを忘れてしまい寝不足になった。 基本美織は早寝早起きである。 夜は10時に寝て、朝は5時前に起きる。 七重と一緒に暮らしていた時の生活リズムそのままだったのだ。 (昨日は寝たのが午前1時だったからなぁ……今日は早く帰って9時には寝てやるっ!) また出そうになる欠伸を押さえつつ、美織は次の応対をするため手元のボタンを押した。 電光掲示板に新しい番号が表示されて、美織の元に男の人が歩いてくる。 真っ黒のスーツの上に黒のロングコートを羽織り、ネクタイも黒とグレーのストライプ。 インテリヤクザのようなメガネを掛け、整った顔を少し綻ばせながら真っ直ぐにこちらに来る。 (殺し屋?暗殺者?いや、マフィアかヤクザかもしれないわね) 美織はそんな妄想を顔に出さないように努めて笑顔で応対した。 「こんにちは。今日はどういったご用件で……」 「加藤美織さん?」 「は……ええ、はい」 美織はその男の視線が胸元の名札にあるのに気付いた。 (ああ。担当の名前を確認したのね?) ふわりと微笑む男に美織も釣られて微笑んだ。 「それで、ご用件は……」 「はい、今日は美織さん、貴女に結婚を申し込みに来ました」 「…………」 美織は……美織の思考は一瞬停止した。 (この人は今、何て言ったのだろう?) ここは市役所の住民課。 婚姻届を取りに来たり、婚姻届を出しに来たりする人は山のようにいる。 だから、結婚、というワードがこの場で出ることに何の不思議もない。 そう………何の不思議もない、が。 (そうだ、聞き間違いだわ。この人は、婚姻届のに来たと言ったのでは?) というのは、おかしい気もするが、言い間違いなんて誰にでもあることだ。 こういう場で焦って言い間違える人は思ったよりも多い、ということを美織は良く知っていた。 「あ、はい。婚姻届の提出ですね?」 「ええ。貴女から色好い返事を貰えれば遠からずそうなるでしょうね?」 男は口元に微笑みを浮かべたまま、美織を見つめている。 その時、寝不足で働いていなかった美織の頭は漸くフル回転し始めた。 (ヤバい……これは久々にヤバい人に当たったのかもしれない!) 美織は横の寧々をチラチラ見て助けを求めた。 しかし、彼女は耳が若干遠いおじいさんの相手をしていてそれどころではないらしい。 一つ向こうの芳子も忙しそうだ。 亮二は……遠すぎて助けは求められない……。 目の前の男は微笑みを張り付けたまま、美織の答えを待つようにそこに座っている。 格好だけ見れば内ポケットから拳銃やナイフが出て来そうだ。 だが……このままでいても男は帰りそうにない。 「あの……」 「はい?……あっ!あ、そうか。すみません」 (何がすみませんなんです??何で謝ったんですか??ていうかもう帰れ!!) 顔をひきつらせた美織の前で、男はジャケットの内ポケットへ手を滑らせた。 (け!け!拳銃!?ちょっと、私、殺される!?) 美織が思わず半歩後ろに下がったのと同時に、男は内ポケットから黒く四角い革製の物を取り出した。 それは一般的にいう「名刺入れ」。 後ろに下げた足をこっそりと戻すと、美織は何事もなかったように応対を続けた。 しかし出されたものが拳銃でなかったとしても、まだピンチに変わりはない。 警戒を解くわけにはいかない。 「僕としたことが……大変失礼しました」 と、男は美織に名刺を差し出した。 「黒田造船……専務……黒田……成政……」 名刺にはそう書いてあった。 「ええ、黒田成政と申します」 「はぁ……」 美織は半ば放心状態で答えた。 「隆政はご存知ですよね?」 「ええ、まぁ」 「僕はいとこなんです」 「へぇ……」 (だから?何だ!?……あっれ?でも何だかこんなとんでも展開……最近どこかであったような……) 美織はハッとした。 そうだ。 つい3週間ほど前にあったじゃないか。 隆政とのお見合いが!! (何なのよ……揃いも揃って……一体黒田さんちはどういう教育をなさっているのっ!?) 美織はメガネをくいっと指で持ち上げた! それはもうまるで教育委員会の教育長か、校長、PTA会長も真っ青な美しい所作であったとか、なかったとか……。 「あの、それで、黒田隆政さんのいとこの方がどうして私に会いに??」 まさか本気でプロポーズに来たわけじゃないだろう、と美織はまだそう思っていた。 「貴女に結婚を申し込みに来たと言ったじゃないですか?」 (……あぁ……聞き間違いじゃなかったぁ!!) 黒田成政氏は、名刺入れを内ポケットに戻しながら素敵な笑顔で答えた。
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