空気を読まない腹の虫

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空気を読まない腹の虫

ポロロロン♪ と、軽快な音がバックの中から聞こえてくる。 午後の業務を終え、ロッカーから去ろうとした美織のスマホにメッセージが来たのだ。 ロッカーの扉を閉め、足早に裏口から出たところで美織はメッセージを確認した。 『さっきは迷惑をかけてすまない。今日少し会って話したいんだが、仕事が終わったら連絡して欲しい。ちゃんと謝りたい』 隆政だ。 騒ぎを起こした件の謝罪だろうけど、謝ってどうなることでもないし……。 と思い美織は返信する。 『迷惑はかけられましたけど、特に謝罪は必要ありません。それよりも、いとこの方に用がなければもう来ないように伝えて下さい』 と打って美織は手を止めた。 黒田家の人間に「用がないなら来るな」というのは暖簾に腕押し、糠に釘だというのは実証されているではないか! 美織は言い方を変えることにした。 『……絶対来ないように伝えて下さい』 これならいいか、と返信しようとしてまた手を止めた。 (インテリヤクザに聞かなきゃいけないことがあるんだった!) しかしこちらから連絡するのも興味があるように思われて嫌だ。 かといって職場に来られるのは勘弁してもらいたい。 いろいろ考えて美織はメッセージを打ち直した。 『迷惑はかけられましたけど、謝罪は必要ありません。それよりも、いとこの方に職場には絶対に来ないように伝えて下さい!それは大変迷惑です』 (良し、これなら職場に来るのは防げる。ただ、隆政のように待ち伏せされる可能性が……) ……どうも、うまくまとまらない。 真実は知りたいが出来ることなら成政には会いたくない。 それに黒田家がどんな秘密を隠しているとしても、迂闊に足を突っ込まない方がいいのではないか? 美織はスマホの画面から目を逸らし、裏の出口に向かった。 「みお!」 一歩出口を出たところで声がかかった。 その伸びのある声は知っている男のもの。 (待ち伏せしないって約束も忘れたのかな……) 半ば呆れながら美織は振り返った。 「隆政さん。謝罪なら結構です。それよりもあのいとこの……」 「そう、その件だが……まぁ、ここじゃあなんだから……」 と、端に止めた黒い高級車を指さした。 「すぐ終わらないような話なの?」 「出来ればゆっくり話したい」 隆政の目は何かを決意したように真っ直ぐ美織をとらえる。 それはいつもとはまた別の迫力があった。 「……わかった」 美織は黙ったままの隆政に答える。 そして開けられた助手席のドアから体を滑り込ませた。 ****** 午後6時、11月下旬の夕方は日が落ちるのがとても早い。 市役所を出た頃には薄闇の光景だったのが、もうすっかり闇夜になっていた。 相変わらず高級国産車の車内は物音一つせず、普段はうるさいくらい構ってくる隆政も前を向いたままだんまりを決め込んでいる。 美織はこの奇妙な空間に流れる緊張感で、手足が冷えてくるのを感じていた。 ぎゅっと握ると血流が止まり手が真っ白になる。 浮き出る血管を押さえてみたりしながら、美織は必死で何か他のことを考えようとした。 (……明日の昼当番は私だったかな?えーと、私と細川くん……ということは、お昼ご飯は一人ね……お昼ご飯……ああ、お腹がすいた……) ぐぅぅーーーー 美織の腹の虫は全く空気を読まない。 エンジン音さえしない車内に、何の遠慮もなくその音は響いた。 緊張感が漂う車内は一瞬で不思議な雰囲気に包まれる。 美織はこの微妙な空気の中、どういって誤魔化したものかとダラダラと冷や汗をかいた。 いや、そもそも二人しかいない車内で誤魔化しなど利かない。 為す術もなく美織は項垂れた。 「…………くっ…………」 (くっ?) 「ふっ…………くっ……」 (ふっ?くっ?) 運転席から聞こえてくる圧し殺した声に美織は顔をあげた。 そしてゆっくりと右に顔を向ける。 「くくっ……ふふっ……」 そこには必死で笑いをこらえている隆政が百面相をしている。 弛もうとする表情筋と必死で戦っている姿に、今度は美織が吹き出していた。 「ぶっ!」 「おい、何で笑った?!腹を鳴らせたのはそっちのくせに!」 隆政が赤い顔をして言った。 「ああ、うん。ごめん。でも……その……その……あなたの顔が……ぶぶっ!」 「何がおかしい!!」 「だって……凄い顔で……笑うの我慢してるから……」 隆政は前を見たり美織を見たり、忙しく首を動かしながら反論をしようとした。 だが、相変わらず美織はお腹を押さえて大笑いしていて他のことなど耳に入らない。 今何を言い返しても無駄だな、と、深く溜め息をついた隆政は赤い顔のまま運転に集中した。
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