彼が彼女を口説くわけ

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彼が彼女を口説くわけ

洋二が去ってから、赤い顔の隆政ととり皮をビールで流し込む美織の、暫しの沈黙が続いていた。 何も言わずウーロン茶の氷を無意味に鳴らしている隆政。 その時美織はーー とり皮のタレの絶妙な甘辛さに感動すら覚えていた。 職場の忘年会やら飲み会やらで、いろんな焼き鳥屋に行ったが、こんなに美織の舌にマッチするタレには初めて出会った。 (何を使ってるんだろう。醤油に味醂、酒に砂糖。もう少し何か入ってる気もするけど。材料もだけどその配分も……) 美織がとり皮の鉄板を前に考え込み出した時、突然隆政が話かけてきた。 「昼間のことなんだが……」 (今!?いきなり!?) とり皮レシピの為に、フル回転していた美織の脳内は一気に停止した。 しかし漸く話す気になったのなら、気が変わらない内に聞いておきたい。 美織は視線を隆政に移し姿勢を正した。 「……今から話すことで、みおが嫌な思いをすることになるかもしれない。だが、どうか最後まで聞いて欲しい。そして、出来ることなら……」 「……出来ることなら?」 最後まで言わなかった隆政に美織は繰り返して尋ねた。 「いや。いいんだ」 そう言うと、隆政は何かを決意したように静かに語り始めた。 「みおとの見合いの前、俺は爺さんに言われていたんだ。それは……みおと結婚しなければ会社は継がせないということだ」 「は?……え、と……?」 美織は言葉を失った。 行政が何故そんなことを言ったのか。 あまりのことに理解が追い付かなかった。 そんな美織の心中をよそに隆政は話を続ける。 「つまり、みおと結婚出来なければ俺は社長にはなれない。見合いの時、焦って君に失礼なことを言ったのはそのせいもあるんだ」 「…………」 「そして怒らせて……断られて……その日それを爺さんに言ったら、今度は……別に美織さんを幸せにするのはお前じゃなくてもいい、成政でも構わないと、言い出して」 隆政の静かな声を聞いているうちに、美織の頭も少しずつ整理されてきた。 (つまり、隆政さんも成政さんも私にゴリ押しで迫って来たのは社長になりたかったから、ね) 特にその事で驚くことはなかった。 ハッキリした理由がある方が、変なことを考えなくてすむ。 実際に何もわからなかった時は、呪いや何か事件に巻き込まれているんじゃないか、と思っていたのだ。 「そういった事情があったのなら、言ってくれれば良かったのに」 「言えばどうにかなったのか?みおは、俺との結婚を承諾したか?」 (それは……ないわ) そう、その答えは決まっている。 美織の顔を見て隆政はその真意を理解したようだ。 「……黒田さん……行政さんも何でそんな条件を……いとこ同士で揉めることになりかねないのに」 (それに家督相続問題に私を巻き込んでもらいたくないわ。大体何の関係もないじゃない!) と思いふと初めて行政と会った時のことを思い出した。 七重の遺影を切なそうに撫でるその姿を……。 ああ……もしかしたら……。 「行政さんは……うちの祖母のことを?」 隆政が知っているかどうかはわからない。 だが美織は口にせずにはいられなかった。 「多分な……みおのおばあさん、七重さんのことでうちの婆さんと爺さんが言い争っているのを聞いたよ。何故か爺さんが酷く怒っていた。その直後だったからな、この話が出たのは……」 (やはり。行政さんは……おばあちゃんとがあったんだ……) だとすれば美織がやるべきことは決まっている。 このバカげた家督争いを終わらせることが出来るのは美織だけなのだ。 「わかりました。私から行政さんに止めてもらうように言います。それで隆政さんも成政さんも、もうこの事に振り回されることはなくなるし、私を口説く必要もないでしょ?」 当然感謝されるものと思っていた。 美織もこれで雲の上の男達の非日常に付き合わされることはない。 穏やかで変化のない生活がまたやって来るのだ。 そう思っていたのだが……。 「こうなるのが嫌だったんだ!!」 隆政が突然声を荒らげた。 美織はビクッと体を震わせて目を丸くする。 こんな隆政を見たのは出会って初めてのことだ。 何がそんなに気にくわなかったのだろう、と考えてみたがちっともわからない。 「た、隆政さん?」 「話せば……みおは絶対そう言うと思ったんだ!でも、言わないのも卑怯だと思った……訳もわからず振り回されるのは気持ちのいいものじゃないからな……みおは……俺が……社長になりたいから一生懸命君を口説いてると思うだろ?そう思われてしまうから、話したくなかった!」 隆政がテーブルをドンと叩くとウーロン茶のグラスが揺れた。 それに反応して中の氷もカラン……と一つ切なそうに揺れた。
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