黒田隆政の心情

1/1
前へ
/80ページ
次へ

黒田隆政の心情

それから隆政は、気持ちが伝わるようにいろいろ工夫をして、メッセージをこまめに送った。 人生で、これほど人にメッセージを送ったことはない。 なんだかむず痒くなるような可愛い画像も、それを見て美織が微笑んでくれるのを想像して送った。 そんな自分に呆れもしたが、彼女の笑顔を引き出せることの方が嬉しかった。 連絡先を交換するにあたって、美織との間にはいくつかの約束事もあったが、それを守ることは苦にならない。 それよりも美織と繋がれることの方がはるかに重要だったのだ。 出張土産を口実にデート(美織はそう思ってはいないかもしれないが)をすることになった時は、遠足前の子供のように嬉しくて眠れなかった。 マーライオンの件は少しやり過ぎた感も否めないが、美織が笑い飛ばしてくれることが、隆政を幸せな気持ちにさせるのだ。 (もっと彼女の……みおの笑顔が見たい。俺がその笑顔を作りたい。そして、その笑顔を独り占めしたい) 欲求はだんだんエスカレートしていく。 一つ叶えば、その次へ。 そうやってこの気持ちも次へ向かうのかと思うと、隆政は生まれて初めて自分が成長しているということに気付いた。 両親の事故によって、止まってしまった心の時計が動き出す。 言うなればそんな感覚だ。 そのことを一番実感したのは、バラ園での出来事。 隆政には事故で負った心の傷がある。 それは、たまに出てきては亡霊のように冷たい手で隆政の首を締め付けた。 引き金は家族で食べるお弁当。 その幸せな記憶と、悲しい記憶はセットになっている。 美織の作ったお弁当でも、やはり、事故のトラウマを引き起こすことになった。 そして、迷惑をかけ……心配させた。 隆政はそんな情けない姿を誰にも見せないように、注意しながら生きてきた筈だった。 それなのに、一番見られたくない人に見られてしまうことになるなんて思いもしなかった。 もともと何とも思われてない上に、こんな病気まで……。 もう駄目だ、これで彼女には完全に嫌われる、と思った。 だが、結果は全く予想しないことになる。 美織は自分が悪いといい、更に隆政は優しいと言ったのだ。 そして自分も事故で両親を失い、少なからずトラウマを持っていたことを語った。 事故で両親を失った、ということは見合いの前、行政に聞いて知っている。 その事も実は隆政が美織に興味を持った一因でもあった。 それから美織は、自分のトラウマを取り去った七重の話をした。 それを聞いて隆政は、自分も同じように美織に抱き締められたいと真剣に思ったのだ。 トラウマが治るかどうかなんて、問題じゃなかった。 ただ、美織に触れたいと思っただけだ。 そんな自分の思いは、考えているだけで恥ずかしくなってくる。 隆政はどうしようもなく火照る顔や、悲鳴を上げそうな心臓を隠すために、全然関係ないことを口走ってしまっていた。 「……腹が空いたな……」 美織は唖然としていた。 更に弁当が食べたいと言い出す隆政を一生懸命止める。 だが当の本人は呑気なもので、何の根拠もないのに『大丈夫』のような気がしていたのだ。 結局美織が折れ、隆政のに付き合うことになった。 いろいろ工夫して弁当が見えないようにしたり、様子を伺ったりと美織は隆政が思う以上に心を配ってくれた。 そんな中でもじんわりとやってくる冷たい感覚。 恐怖に体を固くしていると、そっと暖かい手が伸びてきた。 美織の手だ。 柔らかくとても優しい手をしている。 そこから溢れる暖かさに、冷たい感覚は何処かへ去ってしまっていた。 (この手があればもう大丈夫だ。この手を信じていれば俺は生きていける) 恥ずかしそうな美織を見つめ、隆政は愛しくて堪らなくなっていた。 バラ園から2日後、午前の会議が終わると隆政は出口付近で行政に声をかけられた。 「最近美織さんと良く出掛けているそうだな」 「ああ。はい。先日もバラ園に行ってきました」 「そうか、それはいい。この調子でなんとか美織さんがお前との結婚を考えてくれればいいがな」 やはり、美織の名前を呼ぶ行政は上機嫌だ。 反対に隆政は気分が悪い。 人の嫁(予定)を軽々しく呼んで欲しくない。 特に行政には。 だが、それを表面に出すほど隆政も愚かではない。 「そうですね。早くそうなってもらえるように努力します」 (それにはまず、改めて交際を申し込まないと、だな。まだ友達止まりだから) 隆政は自分に言い聞かせるように胸の中で繰り返す。 「成政も帰ってきてからすぐ美織さんの所へ行ったらしいぞ。負けるなよ、隆政」 行政は突然爆弾を投下した。 「………………え、爺さ……社長!成政が帰ってるんですか!?」 「ああ。昨日な」 「何で、みお、美織さんの所に?!」 「何でって……言っただろう?美織さんが幸せになるならどちらでもいいと」 「今俺といい感じなんです!!邪魔しないで下さい!!」 いい感じ、とは自信を持って言えないがここは引けない。 「そうか、じゃあなんの問題もないじゃないか?ははっ、頑張れよ。私はお前ならきっと美織さんを幸せに出来ると信じているぞ」 (ふざけるな!折角これから交際を申し込もうとしていたのに……いや、今はそれどころじゃない!市役所へ、みおの所にいかないと!!) 幸いその日の重要な仕事は午後からの会合だけだ。 隆政は急いで駐車場へ向かった。
/80ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4059人が本棚に入れています
本棚に追加