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人生初のお見合い
十一月最初の日曜日。
お見合いは、市内の超高級ホテルの中にある和食料理店で行われることになった。
実はそのホテル、黒田造船(行政の会社)が所有している。
これは後で気付いたことなのだが、行政が経営する「黒田造船」は国内シェア70%を誇る世界的な造船会社だったのだ。
何が小さい会社だ、謙遜するにも程がある!と、美織は騙された気になったが、断るなら別にどうでもいいかと思い直した。
そして当日、実に下らないことで美織は頭を悩ませていた。
見合いで着る服の問題である。
着るものなどどうでもいいと思っていたが、あまりにカジュアルな格好では場にそぐわないし、相手に失礼になるのではないか。
そう思い直し七重の持っていた着物の箪笥を開け、ため息をついている。
お見合い服の定番は振袖だが、美織の成人式では後に使う機会が限られる振袖はレンタルで済ませた。
七重の着物の中にも振袖などはない。
それに振袖というのはやる気満々のようで、少し恥ずかしかったりもするのだ。
となれば選択肢は限られる。
美織は七重の箪笥から物色し始めた。
そこには落ち着いた色味の上品な訪問着、小紋など、大人の女性が好みそうなものが多くあり七重の趣味の良さが伺えた。
「あれ?……一番下にも……何か?」
着物の一番下、大切にしまわれるようにそれはあった。
少し色の違うたとう紙の中に深い紫色の小紋。
その着物だけ何故か真新しいたとう紙に包まれて、きちんと虫干もされていたのか非常に状態も良い。
美織は着物を鏡の前で羽織り、斜めに構えてみる。
それはどちらかいうと地味目で色白な美織の顔立ちに良く映えた。
カジュアル過ぎず、重すぎず、少し自分の気分も上がる。
その小紋は美織の条件にぴったりと合っていた。
即座にその小紋に決め、いそいそと他の準備を始める。
着るものが決まると後の準備などサクサクと進む。
帯も小物も草履もその小紋にあわせて決め、美織は慣れた手順で着物を着ていった。
着物好きな七重はよく美織に着物を着せた。
その為、美織も特に習うこともなく着付けを覚えていったのだ。
小紋に袖を通すと微かに七重の香りがして、切なさに少し胸が震える。
七重が今でも自分を守ってくれている、そんな気がしてとても暖かくなった。
お見合い場所のホテルまでは、自宅から十分もかからない。
美織はゆっくりとコーヒーを飲み簡単に化粧を直すと、約束の時間の二十分前に家を出た。
そこは職場に行く道すがらにあり、この地域のホテルでも最高級、建物としては最大級である。
一度だけ行った最上階のバーからは街の明かり、海を行く船のライト、ライトアップされた橋がとても美しく見えたのを覚えている。
美織は少し緊張しながらロビーを抜けると、和食料理店の暖簾をくぐった。
入り口には従業員の女性が一人、帳面を捲りながら待機している。
美織が黒田の名を伝えると、その瞬間彼女は最大級の営業スマイルで微笑んだ。
「黒田様はもうお越しでございます。さぁ、どうぞ、こちらへ」
「はい」
促されるままに迷路のようにうねった廊下を奥へ奥へと進む。
この和食料理店にも来たことはあったが、まさかこんな奥まった日本庭園のある別室に通されることになるとは思ってもみなかった。
きっとお得意様やVIP限定なのだ。
一般庶民の美織等には到底縁のない世界。
だが、別世界のような光景は職場での話の種にはなるかもしれない。
美織はもう二度と見れない世界をしっかりと目に焼き付けておこうと思った。
もちろん明日の昼食時に、面白可笑しく話すためにだ。
「さ、こちらです」
従業員の女性は美織に言うと、さっと膝をつき障子に向かい、
「黒田様、失礼致します。お連れ様がお着きでございます」
と言って美織を中に促した。
部屋の中にはいかにも高そうなグレーのスーツの行政の隣に、これまた高そうなダークグレーのスーツでガタイの良い男が姿勢を正して座っていた。
ネクタイの色は深い赤。
行政のネクタイが深い青なのと、対比してとても鮮やかだ。
その容姿は、なるほど行政が自慢するだけのことはある。
彫りが深く、眉もキリリとしていて、目のインパクトが凄い。
真っ直ぐ人を見る態度からとても自分に自信があるのがわかる。
そう、きっと、とても自信家だ。
と、美織は分析した。
「すみません。お待たせしましたか?」
美織は入ってすぐの所に座り、行政に問いかけた。
しかし何故か行政は美織を見つめ身動き一つしない。
「黒田さん?あの?」
「………それは、七重さんの着物だね?」
「ええ……そうですが……何故それを?」
行政は懐かしそうに美織を見つめ目を潤ませている。
そして美織の質問には答えずにサッと座り直すと、隣の男に向かって言った。
「隆政、美織さんだ。挨拶を」
「はい。黒田隆政です。初めまして美織さん、宜しくお願いします」
その男、黒田隆政はとても大きな良い声で名乗る。
彼のことを別段素敵だとは思わなかったが、伸びやかなその声には少し惹かれた。
目を瞑って聞けばきっと良く眠れるだろうな、などと考えてしまい慌ててそれを頭から振り払う。
「あ、はい。初めまして。加藤美織です」
『宜しくおねがい』することもないだろうな、と美織はそれを挨拶から端折った。
そんな美織の考えなど知るよしもない行政は、満面の笑みで話始める。
「美織さん、今日は来てくれてどうも有り難う。堅苦しいことは抜きにして、いっぱい食べてくれていいからね。あ、私はこれから上で会議があるので失礼するけど、あとは隆政に任せてあるから」
(後は若い二人で……っていうやつかしらね。でも、その方がいい。行政さんに断るよりは隆政さんに断る方が断然楽だわ)
美織は行政が好意でやってくれていることを知っている。
そして七重のことを想っていたのではないか、ということもうすうす気付いている。
だから、行政が悲しい顔をするのをあまり見たくはなかった。
………いや、そうじゃない、本当はただ単に隆政よりも行政の方が好みのタイプだったのだ。
「大変ですね、休日までお仕事なんて。お疲れ様です。頑張ってくださいね」
美織はにっこりと行政に微笑んだ。
「ははっ、美織さんにそう言ってもらえるとなんだかやる気になるよ!じゃあ頑張ってくるか!」
おどけた風にいいながら、行政はよっこらしょと立ち上り部屋から出ていった。
そして、部屋には二人だけになった。
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