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あなたとは何があっても
美織は断りのタイミングを見計らったが、そもそも、いつ、どのタイミングで言えばいいのかまるでわからない。
食事の前に断るのか、食事の後に断るのか。
断ってからの食事なんて、なんか気まずいし、食事の後なんてまさに食い逃げみたいではないか!
目の前で百面相を披露する美織を見て、隆政がくすくすと笑っている。
「どうかした?何か心配事でも?」
「え、あ、いえ。そうではないんです」
「そう?ならいいんだが……」
隆政は正座していた足を崩し胡座をかくと、先程とは違いくだけた感じで話しかけてくる。
「美織さん……いや『みお』でいいかな?呼びやすいからそうしよう」
「えっ??あ……ええっ?何で?いきなり呼び捨てとか……」
「今からだと、結婚式は半年後か? もっと早くてもいいが……みおはどうしたい?」
「あ……ちょっと……」
「もちろん、仕事も続けてかまわない。何しようとみおの自由だ。俺も好きにさせてもらうしね。お互い結婚したら干渉はしないということでいいよな?」
「……あのっ!?一体何の話をしてるんですか!?」
美織は頭の回転は早い方だ。
仕事柄、人の話を聞き理解する能力には長けていると自分でも思っている。
だがどうしたことか、この目の前の男の言うことがさっぱり理解出来ないのだ。
「何のって……結婚するんだろ?俺達」
「俺達とは……もしかして、私と……あなた……?」
「ふっ、他に誰かいるのか?」
(何で!?お見合いに来ただけなのにどうして結婚話になってるの!?何かの罠なの?いえ……私に罠を仕掛けたって何の得にもならないし……)
隆政は何か勘違いをしているのか。
美織はもう一度確かめてみることにした。
「今日はお見合い……ですよね?結婚のお話は気が早いというか、いえ、早すぎるというか(ありえないというか)」
「みおは、俺のこと気に入らないのか?」
それまで上機嫌で話していた隆政が、ふっと顔色を変え、あからさまに不機嫌になる。
「き、気に入る?って……あの、今日会ったばかりですよ!そんなことわかりません!」
「なんでだ?何がわからない?この俺が、みおと結婚してやってもいいって言ってるんだ。不満か?」
(……ダメだ!これはダメなやつだ!ポンコツ過ぎる!)
美織は、目の前の完璧だった男が完全にポンコツに見えてゲンナリした。
自信家だろう、と思った美織の感は正しかった。
この男は相手に断られるなんてこれっぽっちも思っていない。
まぁこのルックスと家柄と資産。
放っておいても女が寄ってくるんだろう。
だがそれにしても思い込みが激しすぎる。
結婚してやってもいい、などと常識のある大人の男ならまず言わない。
はじめてのお見合いがこれとは……美織は最早、行政の気持ちなど慮ってはいられなかった。
「無理です……」
「無理って何が?」
うつむきながら低く唸るように言う美織を、隆政が覗き込む。
「あなたとは何があっても、例え地球が滅亡しても、結婚することはありません!どうか行政さんにそうお伝え下さい!さようならっ」
美織は立ち上り、さっと身を翻して障子を開けた。
「ちょっ……!おい!待て!」
慌てて後を追おうとする隆政に、美織は渾身の思いを込めて言い放った。
「うるさいっ!!ポンコツ!」
それから障子をバァンと思い切り閉めると、迷路のようにいりくんだ廊下を、ずんずんと音をたてて歩き去る。
奇跡的に迷わずに迷路を抜けると、美織は漸く一つ深く息を吐いた。
そして、休日を無駄に過ごしてしまったことを激しく後悔する。
住民課の窓口にも、変な人はたまに来るが、あんなポンコツに会ったのは初めてかもしれない。
あれが、あの行政の孫とは!
そして、あれが次の社長になるとは!
黒田造船も長くはないかも、と美織は他人事のように考えた。
(まぁ、どうでもいいか。あれだけ言えばもう私に関わろうとはしないだろうし。行政さんには申し訳ないけど、あれはない!絶対に!!)
美織は着物の裾をはしたなく開けさせながら、ロビーを抜け大股で家に向かった。
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