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迷惑な訪問者
「えー?それで怒って帰っちゃったと?」
翌日、一緒にお弁当を食べる住民課窓口3人の話題は、美織の出会ったポンコツの話である。
そして、凄く勿体なさそうに叫んだ寧々の隣で美織は顔を歪めた。
「いや。ないから。あんなのおかしいでしょ?」
「でもー、お金持ちですよぉー?イケメンですよぉ?自由にしていいって言ってるんだし、少し我慢して好き勝手やればいいじゃないですか!」
という寧々に芳子が相槌をうった。
「そうね。大体好き合って結婚してもどうせ冷めるのよ。それなら最初から愛だの恋だの諦めて、お金に不自由しない生活したいわよね?」
主婦の言葉には何故かかなりの実感が籠っている。
「そういうの求めてないです。お金も自分で稼げばいいし、今も自由にやってるし」
「まー、そうですかねぇ。そういえばそのポンコ……黒田隆政って、有馬さんの同級生らしくって……」
寧々は少し顔を赤くしながら手元のお茶を啜る。
「有馬さん」とは、寧々の彼。
財政課の有望株で、寧々は押しに押しまくって落としたらしい。
「高校の時から凄くモテてたらしいですよ?そんでもって、彼女なんてとっかえひっかえで、一週間ごとに違う子だったって!」
だろうな、と一度あっただけの男の風貌を思い出してみる。
予想通りのその話に美織は全く顔色を変えなかった。
「最近も、確か……そう!お盆休みに高校の同級会があって会ったって。そしたら、今付き合ってる彼女と結婚するかもとか言ってたみたいですよ?……あれ?じゃあ、なんで見合いをしたんだろ」
不思議な顔をした寧々に、溜め息をつきながら芳子が言う。
「おじいさんからの命令じゃないの?だから、俺も自由にするってお見合いの時言ったんじゃないかしら?加藤さんと結婚しておいて、その彼女?を愛人にするつもりだったとか、ね」
なんだか生々しい話になってきて、美織はブルッと寒気がしてきた。
「うわぁ、ポンコツー!最低ー!」
寧々は何か嫌なものを潰すように、フォークでトマトをグチャリと刺した。
芳子は芳子で、砂糖を入れたコーヒーを掻き回すスプーンの回転数が激しく多い。
二人が代わりに怒ってくれたお陰で、美織の気持ちはだいぶ晴れやかになり、改めて職場の人間関係が良いことに感謝した。
そして、ブラックコーヒーを飲み干すと笑って二人に告げる。
「どっちにしろ、もう会うこともないわ。去り際に、ポンコツって言ってやったから向こうも怒ってるだろうし」
「そうね」
「ですよねー、美織さんにはもっと大人の良識あるおじ様の方が似合いますよ!」
おじ様………そう聞いて美織が真っ先に思い出したのは行政のことだった。
きっと、隆政から昨日のことを聞いているに違いない。
どう話したのかはわからないが、きっと行政ももう美織に関わるつもりはないだろう。
そう思うと少し胸が痛かった。
七重と行政の思い出にも、自分が傷をつけてしまったようでやるせない気持ちになる。
「さて、そろそろ歯磨きして戻る?」
芳子の言葉に、寧々は最後の唐揚げを口に押し込むと、慌ててバックから歯磨きセットを取り出した。
「はーい、オッケーです!美織さんも行きましょ?」
「あ、うん」
と、短く答えると美織も二人の後を追った。
今日は月曜日。
だいたい週明けは休む間もないほどに忙しい。
待合は多くの人で溢れており、番号札のカウンターももうすでに三百を超えている。
それでも朝から面倒な案件はなく、皆、住民票や戸籍の交付がほとんどで窓口でもすんなりと捌くことが出来ていた。
そうして、少し人が減ってきた午後4時頃、その災厄はやって来た。
美織が穏やかな老婦人の住民票を交付し、次の人を呼ぼうと手元のボタンを押そうとしたその時、ふわっと巻き起こった風と共に誰かが目の前の椅子に腰かけた。
まず、胸元に目が行き明るめのブルーのネクタイを確認する。
次に机に置かれている組んだ指先を見た。
そしてその人物を確認すると、美織は誰が見てもわかるくらいのイヤな顔をした。
「こんにちは。少し構わないかな?」
黒田隆政は、昨日あったことなど忘れたかのようにいい笑顔でそこに座っていた。
「……番号札はお持ちですか?」
美織は驚いてずれた眼鏡を指先で直しながら言う。
「番号札??」
「そこの機械で発券して、ここの窓口で用件を伺います」
「用件というか……話があるんたが」
「番号札をお取り下さい」
機械的な美織の対応に、少し面食らったのか隆政は大人しく発券機に向かった。
冷静に対応したつもりだが、内心美織の心臓は飛び出そうになっている。
(何の用!?昨日の文句?失礼なことを言った嫌がらせ?いやいや、失礼なことを言われたのは私だっ!どんな話があろうと、こちらは全然悪くない)
気を取り直してボタンを押すと、やれやれといった表情で、いつもくる弁護士事務所の柴田が美織の前に座る。
「どうも!これ、戸籍宜しく」
と、言いながら委任状と必要書類を出す。
「はい。わかりました」
すると、作業にかかる美織に近づいて柴田は声を抑えて話しかけて来た。
「ねぇ、あれ黒田造船の副社長だよね?どうしたの?知り合い?」
なるべく目立たなくしたつもりだが、見られていたのか。
確かにあんな悪目立ちする男、他人から注目されない訳がない。
「いいえ、全く関係ありませんよ。番号札をお持ちでなかったので、その説明をしていただけです」
「そう。いや……そうか。とうとう、加藤さんまで副社長の毒牙にと思っちゃったよ……」
そう言って笑う柴田の言葉に、美織の顔はひきつった。
「ないですから。何ですか、そんなにあの方素行が悪いんですか?」
「ま、ね。いや、やり手で仕事も良くできる男なんだけどねぇ。何だろうね、英雄色を好むってやつなのかな。そういうとこ、ほんと派手。さっきもね、そういう依頼が……あ、ごめん。聞かなかったことにして!」
柴田は目の前で手を合わせ、悪びれずににこっと笑った。
(弁護士には守秘義務があるはずだけど、こんなにぽろっと溢していいの?まぁ、案件の内容も、依頼人も言ってないのだから反してはいないのだろうけど)
美織は笑顔のままで、柴田には例え訴訟になっても頼むもんかと心に誓っていた。
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