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待ち伏せ
あれから30分経ち、待合にはもう数人しか残っていない。
電光掲示板に「431」と表示されるとそれまでスマホを手に、仕事の電話をしていたらしい隆政が、それに目を止めて電話を切る。
そして、表示された窓口に行き何故かそこで立ち止まった。
「431番の方ですか?どうぞ?」
「い……や……あの……」
と、隆政はちらちらと2つ向こうの窓口を見て口ごもる。
「どうかされましたか?」
3番窓口の亮二が、隆政を上目遣いに見て不審そうに首を傾げた。
良く考えればわかることだが、窓口は4箇所あり、空いたところから案内されるため思った所には行くことが出来ない。
美織は今、若い夫婦の相手をしていて隆政の方など見もしない。
見ているのは3番窓口の亮二だけだ。
「あの、ご用がなければ次の方に移らせてもらっても?」
「あ……ああ、いや、君、ここの仕事は何時までなんだ?!」
隆政は3番窓口に座ると、亮二に詰め寄るように尋ねた。
その押しの強さに驚き、少し体を反らしながら亮二は答える。
「……あ、と、17時15分が定時ですが……」
「君達は定時で帰るのか?」
「へ?ええ、あー、窓口は基本そうっすね……あ、そうですね」
思わぬ質問攻めにあい、亮二はつい地が出てしまった。
「で、帰りはこの表玄関から?」
「……いや、いろいろですけど……何でそんなことを??」
ここでやっと冷静になった亮二は、目の前の男の質問を不審に思った。
うっかり変なことを喋ってしまって、誰かのストーカーだったりしたら大変だ。
そう考え、マニュアル通りの対応に切り替える。
「申し訳ありません、そういったことはお答え出来ないことに……」
「そうか、じゃあいい」
と一言言うと隆政は席を立ち、一番窓口をチラリと見てから正面玄関へと歩いていく。
その挙動を余すところなく見つめていた亮二は、男が恐らく美織を待っていたい、若しくは、話をしたいのではないかと勘ぐった。
しかし、ストーカーかもしれないということを考慮して、美織に注意を促しておこうとも思っていたのだ。
隆政が3番窓口から去り、正面玄関に歩いていくのを見て、美織は心の中でほくそ笑む。
隆政の番号はわからなかった。
だが、誰の後に番号札を取ったかはわかったので、それを注意深く観察しながら一つ前の人に当たるようにすれば、高い確率で隆政の番号には当たらない筈だ。
思惑通りに事が進み、美織はその日の業務をなんとか終えた。
何の用だったのかは不明だが、こちらとしてはもう顔も見たくない。
その気持ちを少しでも感じとってくれれば、もう押し掛けては来ないと思う……思うが!
そう、相手は美織の理解を越えるポンコツだ。
どういった行動をとるのか、油断は出来ない。
美織が隆政に対する防衛戦に意識を集中していると、同じく業務を終えた亮二が近付いてきて言った。
「美織さん、さっき変な男がそっち見てましたよ?あれ、知り合いっすか?」
「あ、あれね。うーん、実はね……」
美織は昨日の見合いの話を亮二に説明した。
本当は話す予定等なかったが、結果的に隆政を亮二に押し付ける形になってしまったのだ。
聞き耳をたてていたが、何か詰め寄られて困っていたような感じだったのはわかる。
そんな理由からとりあえず説明はしておこうと思ったのだ。
「なんすか!それ!最悪っすね!」
思いの外、亮二は憤慨した。
言葉遣いや態度はチャラいが、亮二はとても気が利く上に人に優しく出来る、実は好青年なのだ。
一見してはわからないが、一緒に仕事をし日々を過ごしていくと、彼の人となりが素晴らしいのがわかる。
どこぞのポンコツに見習わせたいくらいだ。
「でしょ?それが、何故か話があるとかで来たのよ……」
「……気を付けて下さいよ?最近何かと物騒っすから……今日家まで送りましょうか?」
「大丈夫よー!すぐ近くだもの。でもありがとう。細川くんはいい男ねぇ」
「いや、そういうのやめて下さい!超照れるんで!……でも、ほんとに気を付けて下さいよ?」
「うん、わかった!さて、業務終了よ、さっさと帰ろ?」
「はい!じゃ、お疲れ様ですっ!」
「はーい、お疲れ様ー」
亮二は片手を上げて、美織に挨拶すると、裏口から出ていった。
2番窓口の寧々は最後の人に応対中で、4番窓口の芳子はもうすでに帰ったらしく席にはいなかった。
窓口業務は定時が来て、人が捌けたら順次帰ってもいいことになっている。
美織もパソコンの電源を落とし、帰り支度を始めた。
日付印を明日の日付に変更して、スタンプ台を閉め、ゴミ箱のごみを裏口の大きなゴミ袋に捨ててから、その足でロッカールームに行く。
少な目の荷物を持ち、ベージュの薄手のコートとストールを羽織ると職員専用の裏口から帰路についた。
市役所の専用車駐車場を抜けて、裏手にある銀行に寄って帰ろうと思った矢先、特徴のある伸びやかな声が美織の足を止めさせた。
「みお!!」
(ああ。この声は……しまった……待ち伏せ……)
振り向くべきか……。
でも、振り向きたくない。
だが、振り向かなければ、また大声で名前を呼ばれるだろう。
「……何か御用ですか?」
「話があるって言ったよな」
「そうでしたっけ?」
「……まぁいい。ここじゃなんだから、何処かで話そう」
「待って下さい。何の話をするんです?昨日全て終わっていると思いますが」
「終わってない。昨日は……その……俺も先走ったというか……」
意外にも隆政は謝罪に来たらしい。
不遜な態度は今は鳴りを潜め、伏し目がちに美織の足元を見ている。
「……では、そこの喫茶店でどうですか?」
美織は謝罪なら受け入れるべきだと思い、たまに行く落ち着いた雰囲気のレトロな喫茶店を指差した。
「ああ、そこで構わない。すまないな……」
(なんだ、この人ちゃんと謝れるんじゃない!)
とは思ったが、謝罪をしたところで隆政への心証が変わることはない。
ただ美織に対する失礼な態度を詫びてくれれば、怒りは忘れてあげてもいい。
その程度のことだったのだ。
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