第8話

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第8話

「ただいまー。腹減ったわ、飯ある?」  食事が終わり、優美がデザートの杏仁豆腐を出したところでダイニングの扉が開いた。 「あ、ちょっと、(そう)ったら遅いじゃないの。夕飯までに帰って来て、って三時頃メッセージしたのに」 「悪ぃ。帰ろうとしたら女の子に誘われちゃってさ。……って、このオメガの子誰?」  凛の兄であり唯の弟である颯が蒼を見るなり尋ねた。凛は蒼のことを「両親と姉には話してあった」と言っていたので、おそらく兄は今初めて蒼の存在を知ったのだろう。それなのにいきなり蒼をオメガ判定するとは、さすが小野塚と血が繋がっているだけあるな、と蒼は苦笑した。 「凛の番の子よ。末永蒼くん。蒼ちゃん、凛の兄の颯です。よろしくね」  優美の紹介に乗せて蒼はぺこりと頭を下げた。  凛がおとぎ話の王子様のような穏やかで温かみのあるオーラをまとわせているのと違い、颯には鋭くそれでいて軽薄な雰囲気が漂う。どちらも比類なき美貌を湛えているのに変わりはない。しかし確かに顔の造作は似ているのに、ここまで血の繋がりを感じさせない兄弟も珍しいのではないかと蒼は思った。 「あー……そういやずっと前に唯から聞いたな。凛が片想いしてるオメガがいるって。この子がそのオメガ? 番になったんだ?」 「そうだけど。蒼に手を出したら許さないからね、颯兄さん」  凛は蒼を抱き寄せて颯を威嚇する。 「へぇ、遂に凛も童貞卒業か。おめでと」  颯が凛の頭をくしゃくしゃとかき撫でた。 「颯、変な言い方しないで素直に祝えないの?」  優美が腰に手を当てて鼻息を荒くする。 「蒼、颯兄さんは恵斗より危ないから、絶対、絶対、絶対に近づいたらダメだからね? この家にいる時はなるべく俺から離れないで。何かされそうになったら助けを呼ぶんだよ?」  凛が噛んで含めるように蒼を諭す。その言葉はまるで「俺はこれから密林に丸腰で放たれるのか?」と問いたくなるほどの用心深さを感じさせた。  蒼は今まで度々凛を自宅へ連れて行った――というより、凛が蒼をいつも自宅まで送ると聞かなかったので、必然的に家族と顔を合わせることになっていたわけだが。凛は蒼の家族と顔なじみだったのに対し、蒼は今日が凛の家族と初対面だった。彼が今まで蒼を家に連れて来なかったのは、この兄の存在があったからだと蒼は即座に理解した。 「凛ちゃん凛ちゃん、さすがの俺も家族の番には手は出さないから。安心しなさい」  どうどう、と凛を窘める颯。 「どうだか」  どうやら凛は自分の兄であるにもかかわらず、颯のことを一切信用していないらしい。相変わらず蒼を守るように腕の中に閉じこめては、颯に軽く牙を剥く。 「えー、だって俺、志織ちゃんにも指一本触れてないよな? 唯」 「まぁね。でも私も志織に颯には近づくなって言ってあるよ。ね、志織?」 「言われたねぇ」  志織がうんうん、と頷く。 「うわ何それ、俺、超信用されてない」 「日頃の行いが悪すぎるんだよ、颯兄さんは」  鳴海家の一族の中でも、颯と小野塚は特に女癖、時には男癖が悪いと有名で、親戚一同から叱責されることも少なくない。しかし二人ともそれに懲りることなどないようだ。何年か前に親戚で集まった時に顔を合わせて以来、気が合った二人は時々つるむようになり、その度にアルファの美貌に惹き寄せられる者たちを男女問わず食い散らかしては泣かせているのだ。  いつか刺されても不思議ではない二人を反面教師にしている凛が、誠実の塊のような男に育ったことは必然とも言える。蒼はそれを聞き、自分の番が颯ではなく凛でよかったと心の底から思ったのだった。 「そういえば蒼ちゃん、前に恵斗くんに変なことされたんですってね。ごめんなさいね。あの後恵斗くんにはちゃんと言っておきましたからね」 「あ……はぁ……」  まさかその数ヶ月後の昨日、自暴自棄になっていたとはいえ、自分から小野塚を誘ったとは言えない蒼だった。
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