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第3話
浴室で何度も交わった後、二人は一緒に湯船につかった。当然ながら凛が蒼を後ろから抱き抱える格好だ。家を建てる時に蒼の父が浴室の広さにはこだわったため、大きめのバスタブには二人が入ってもさほど窮屈さは感じることはなく、比較的快適につかることが出来た。
浴室での情事に精魂尽き果てた蒼は、完全に身体を凛に預けている。
時折、天井から滴が湯船に落ちては音を立てる。
「蒼、好きだよ……愛してる」
何度も何度も呟きながら、凛は止めることなく蒼の首筋にくちびるを落とす。正確には首筋にある跡――己の歯形にキスをしているのだ。出血の名残りすらあるどす黒い噛み跡は、端から見ればそれは痛々しく映ることだろう。しかし二人にとってはそれこそが心身ともに強固に繋がった証なのだ。
もし似たような跡が他の部分にあったなら、凛はそれを癒そうと手を尽くすだろう。蒼のきれいな身体に傷など残してはならないと全力で治すだろう。
しかしこのうなじの跡だけは別だ。これは所有の刻印とも言える証で、蒼のこの場所にこの印を残せるのはこの世でただ一人――凛だけなのだ。
だからこそ凛は執拗に己の噛み跡に執着するし、蒼は蒼でそこに未だに残るひりひりとした痛みさえ愛しいと感じるのだ。
「ん……俺も。凛のこと大好きだよ」
蒼が湯の中で凛の手をぎゅ、と握る。
「――胸を切り開いて、今にも破裂しそうな俺の想いを取り出して、すべて蒼に受け渡してしまえたらどんなに楽になるだろう、っていつも思ってた。それくらい、ずっと苦しかった……ううん、今でも苦しい」
伝えても伝えても、きっとこの想いの大きさが蒼にすべて届くことは一生ないと思う――凛はそう呟いた。
悲痛なまでの訴えに、蒼の胸が苦しくなる。それは決して嫌な感覚ではなかった。嬉しくて苦しい――この不思議な感覚を人々は何と呼ぶのだろうか。
「ごめんな……ずっと苦しい想いさせてて」
蒼が手を後ろに伸ばし、凛の頭を撫でた。
「蒼のせいじゃないよ。これが俺の運命だったんだから。俺こそごめんね、蒼を俺の運命に巻き込んでしまった」
蒼の身体がオメガに変わってしまったことを言っているのだろう。こうして散々お互いの愛を分け合った今でも、凛は自分の罪悪感を完全に消し去ることが出来ていないようで、その声には少しの翳りを孕んでいた。
それが痛いほど分かっている蒼は、ふ、と笑った後、
「凛だけのじゃないよ、俺たちの運命だよ。勝手に自己完結するなよ、俺も入れろ」
あえてぶっきらぼうにそう言い放ち、首を反らせて天井を仰いだ。
「ありがとう、蒼。本音を言えば本当に嬉しくてたまらないんだ。蒼が覚醒してくれて、俺の番になってくれたこと」
「俺も凛に他に番がいたって勘違いしてた時は、オメガになんてならなきゃよかった、って思ったけど、今は……オメガになれてよかった、って言えるよ。だからこそ凛の番になれたんだから」
運命の番だから好きになったのか、それとも凛だから好きになったのか――蒼にすらどれが正解か分からない。でもこれだけははっきりと言える。こんなにも愛していて、自分の心身をまるごと捧げても厭わない相手は凛だけだと。
「蒼……! ありがとう。俺、蒼をずっと守るから!」
凛が感動を湛えた声音で、蒼をきつく抱きしめた。
「俺も、凛に相応しい相手になれるよう頑張るよ」
「蒼は今のままでいいよ。それ以上可愛くなったら、誰に狙われるか分からないから」
「ははは……そんなこと思ってるの凛だけだから」
蒼が言った【凛に相応しい末永蒼】と、凛が思うそれはおそらく相当乖離していると思われるが、そこは指摘しないでおいた。
「何言ってるの。蒼は女子の中でも女の子みたいで可愛いって言われてるし、男でも『末永が女の子だったらなぁ』って言ってるやついるし、その内絶対『男でもいい』ってやつが出てくるよ……あぁもう! 蒼が可愛いのは嬉しいけど、狙われるのは困る……こんなジレンマ初めてだよ……」
「……凛、もしかしてキャラが変わったんじゃなくて、元々こういう性格だったのか?」
背後で湯面を揺らしながら蒼の頭に頬摺りをする凛には、蒼の一言は届かなかった。
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