第5話

1/1
754人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ

第5話

「じゃあ、行って来るね」  蒼が玄関で大荷物を抱えながら言った。 「うちで夕飯を食べて、そのまま泊まってもらいますので心配しないでください」 「おうちの方にご迷惑じゃない? 大丈夫? 凛くん」 「母に電話したら喜んでました。夕飯張り切って作るって言ってましたから大丈夫です」 「明日は凛の家から学校に行くから」  翠が落ち着いた頃、凛が蒼を自分の家族にも紹介したいと言い出した。そしてその場で自宅に電話して手はずを整え今に至る。蒼は今夜の着替えと翌日の学校の荷物を準備し、スクールバッグを凛に持ってもらい、自分は着替えと制服を入れたガーメントバッグを持った。 「蒼と一緒に家から登校出来るなんて、夢みたいだ」 「大げさだなぁ、凛は」 「だってずっと夢だったんだよ、蒼と一緒に学校へ行くの」 「そっか、俺も嬉しいよ」  蒼が鳴海家に泊まることが決まってから、凛はずっと笑顔を貼りつけたままだ。それは学校で見るような作られたものではなく、心の底から喜びが溢れているような表情で。蒼には凛の周りに八分音符が飛んでいるのが見えた。 (こうして見ると、凛って意外と分かりやすいやつだよなぁ。学校ではほんと分かりづらいのに)  それだけ自分には心を許してくれているのだと思うと嬉しかった。 「仲良きことは美しきかな、だね」  伸がにこやかに言った。 「とにかく粗相のないようにね、蒼。凛くん、これハワイのお土産だけど、さっき渡すの忘れてて。元々凛くんへのお礼にと思って買って来たものだから。それからご両親によろしくお伝えください。あと、蒼、これでいつものケーキ屋さんで焼き菓子の詰め合わせを買ってあちらのご両親にお渡ししてね」  美穂子は免税店のビニール袋を凛に渡した。そして蒼には千円札を三枚渡した。  蒼と凛は手を振って末永家を後にした。  末永家と鳴海家は電車で二駅の距離だが、双方の家が間の駅に若干寄っているので実際はもっと近い。車で行けば七分ほどで着く。出がけに伸が車で鳴海家まで送ると申し出てくれたのだが、一緒に歩きたいと二人は言い、電車で行くことにした。 「こんなに近いのに高校入るまで会ったことなかったなんて不思議だな」  ここまで近くに住んでいたら、凛のような美形の噂が蒼の耳に届いてもおかしくないはずなのだが、不思議なことに高校に入学するまで凛のことを見たこともなければ、噂を聞いたこともなかったのだ。それどころか高校に入ってしばらくは凛の存在を知らなかったし、同じクラスになるまでは気にしたことすらなかった。  凛が入学式の日に既に蒼を運命の番として認識していたことを考えると、ずいぶんと残酷なことをしてきたな……と、蒼は今になって軽い罪悪感を覚えるのだった。 「もっと早く出会っていたら、今の竹内の位置に俺がいて、蒼の可愛い成長過程を見られたかも知れないのに……」  凛が悔しそうに言い出したので、 (さっき充にこっそりメッセージしといてよかった……)  蒼は心の底から安堵した。自宅を出発する前に、凛には気づかれないよう『明日は鳴海家から登校する』と充に連絡をしておいたのだ。もし凛の前でメッセージをしていたら、 「蒼……毎日竹内と一緒に学校行ってるんだね……」  などと拗ねるのが目に見えているからだ。  途中、例によって逆ナンパされたりしたのだが、凛は待ってましたとばかりに「番とのデート中なので!」と、脂下がった顔で蒼のくちびるにキスをしたり、人目もはばからずいちゃつこうとしたので、蒼は車で送ってもらわなかったことを少しだけ後悔した。 「ふわぁ……大きな家だなぁ」  凛の家は和風の大きな平屋建てだった。大きな門構えの向こう側に広々とした庭と、落ち着いた佇まいの家屋が見える。  凛のイメージから勝手に洋館に住んでいると思い込んでいた蒼にとっては、それはかなり意外だった。 「大きいけど、結構古いんだよ外側は」 「何か……緊張してきた、俺」  名家の香り漂う住まいに圧倒され、蒼の足が竦んだ。 「大丈夫だよ。俺ね、両親と姉には蒼のことを話してあるんだ。番だって分かった日から、いろいろ相談もしてきたから。だからみんなずっと蒼に会いたがってたんだよ。昨日蒼が寝ている時に、番になったことも報告しておいたんだ。喜んでくれたよ?」 「そ、そうなのか……でもどきどきする」 「行こうか」  凛は玄関の引き戸に手をかけた。 「ただいまー」  凛が家の奥に向かって声をかけると、そこからぱたぱたと走る音がした。 「おかえりなさい、凛」  凛にどことなく似た、とても可愛らしい女性が出迎えてくれた。 (お姉さんかな……いやでも写真で見た人と違うなぁ)  蒼が首を傾げると、 「ただいま、母さん」 「お、母さん!?」  凛に母さんと呼ばれたその人が、目を見開いている蒼の姿を認め、 「あぁっ、この子が蒼ちゃんね? やだやだやだ可愛い!」  弾んだ声でそう言ったかと思うと、蒼をめいっぱい抱きしめた。いきなりの抱擁に動くことも忘れた蒼。 (お母さんかよ……若ぇ!) 「母さん、やめて。俺の蒼に触らないで」  二人の間に割って入ろうとする凛。 「やだー。うちの息子たちは二人とも大きくて可愛くない。娘まで大きく育っちゃってもう、こんな可愛らしい息子が欲しかったの~」  ハグハグさせて~。と言いながら、抱きしめるのをやめない凛の母。小柄で若々しく、三人の子供がいるようには見えない。 「あ、あの! 末永蒼です! 初めまして」  何とかその腕から抜け出し、挨拶をする蒼。 「ずっと凛から聞いていたから、初めましてな気がしないわ。よろしくね、蒼ちゃん。凛の母の優美(ゆみ)です」 「あ、っと、これ、うちの母からです」  道すがら買ってきた菓子折りを優美に渡す。 「やだ、お気遣いありがとう。ほんと可愛い」 「いいからもう、あがるよ? 蒼、このスリッパ使って」  そう言うと凛はブルーのスリッパを上がり框に置いた。 「見た目は和風だけど、中は割と今時の家なんだな、凛」  スリッパに足を通し、家の中を見渡して蒼が言う。家の中は洋風のフローリングの廊下が続き、天井にはシンプルだがお洒落な人感センサーつきのシーリングライトがついている。浴室やトイレとおぼしき扉も引き戸ではあるが和風のナラ材ではなく、オーク材の明るい色味のものが使用されていた。どれも比較的新しく、最近リフォームしたと思わせる内装だった。 「そうだね。やっぱり使い勝手は今風の方がいいよね」 「こちらへどうぞ。夕飯の支度出来ているわよ。凛が蒼ちゃんを連れて来てくれるって言うから、腕によりをかけたのよ」  ダイニングルームに案内され入ると、大きなテーブルが真ん中にあり、そこには既に豪華な料理が何品も並んでいた。 「中華にしてみたんだけど、蒼ちゃん、中華はお好き?」  改めて見ると、そこにはエビのチリソース、空芯菜の炒め物、和え物から点心まで揃えられていた。 「美味しそう~。俺、好き嫌いはないです」  好き嫌いをしたら背が伸びないと思い、昔から何でも食べてきた。結局、背は伸びなかったが。 「蒼ちゃんはえらいわね~。凛はねぇ、ブロッコリーとかぼちゃが苦手なのよ? 子供みたいでしょ?」 「……へぇ」  思わずくすりと笑いが漏れる蒼。以前友達として出かけていた時に食事の話題をしたら「俺は何でも食べられるから」と言っていたのに。何もかもかなわない凛に唯一勝てる要素を見つけたことで、何となく嬉しくなったしまったのだ。  にやけながら凛をちらりと見ると、 「蒼が手ずから食べさせてくれるなら、きっと食べられると思うんだ」  にっこりと笑って返された。 (うっわ……そう来たかぁ……)  やっぱり凛には勝てない――そう思い知る蒼だった。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!