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第6話
「ほらほら、いちゃいちゃしてないで。荷物を置いて手を洗ってらっしゃい」
優美がぱん、と手を打った。
「洗面所行こうか、蒼」
蒼の背に手を添えて入り口へ促す凛。扉のところまで行くと、ふいにそれが開き誰かが姿を現した。
「おっと、失礼」
入って来たのは、長身で凛にそっくりな男性だった。風呂上がりなのか髪がほんのり濡れており、首にタオルを巻いていた。
「父さん、風呂だったの」
凛が目を丸くする。
(お父さんかよ……こっちも若ぇ! 鳴海家って不老不死かなんかの家系なのか?)
「……」
凛の父・一成が蒼の顔をまじまじと見つめる。
「あ、あの……末永、蒼、です」
一成の眼力に気圧され、思わずたじろぐ蒼。
「可愛い……昔の優美ちゃん思い出すなぁ」
呟きながら、がばりと蒼を抱きすくめる一成。
「わっ」
(何なんだ凛の両親は! 夫婦そろって抱きつきぐせでもあるのか?)
「父さん、やめろってば」
凛が父の腕を引き剥がそうとする。そのはずみで、一成の手の平が蒼の首筋に引っかかる。
「っ!」
刹那、蒼の背筋に凄まじい怖気が走った。凛に触れられた時に湧いてくる甘気とはまったく違う、得体の知れない気持ち悪さが全身を襲う。胃の腑からこみ上げるものを感じ、思わず一成を突き飛ばそうと押してしまった。
さほど力が入らなかったので突き飛ばすほどではなかったが、拒否の意志は伝わったのだろう。一成が驚いて目を見開いた。
「す、すみませんっ……うぅ……」
未だ収まらない吐き気を堪えながら、蒼が謝罪する。
「こら一成くん! 今、蒼ちゃんのうなじ触ったでしょ。ダメじゃないの、可哀想に……顔色悪くなってるじゃない」
微かに震える蒼を見て、優美が夫を叱る。
「え……どういう……」
優美の言葉の意味が分からず、蒼は首を傾げる。
「ごめんなさいね、蒼ちゃん。番になったオメガの子はね、番以外のアルファやベータに噛み跡を触られると気持ち悪くなったりするのよ。特に噛まれたばかりの頃は過敏になっているから。番以外は生理的に受けつけないって言うのかしらね。だから美容院で髪切ってもらう時とかは厚手の絆創膏とか湿布とか貼って行った方がいいわよ。そうすれば直に触られるよりだいぶマシなの。最近はそういうのを気遣ってくれる美容院もあるけれど」
「そう、だったんですか……知らなかった」
「蒼、ごめんね、馬鹿な父で」
凛が蒼の背中を労るように擦る。さながら妊娠してつわりに苦しむ妻を気遣う夫のような姿である。
「蒼ちゃんはオメガになってそんなに経っていないのよね? ましてや昨日番になったばかりなんだから、知らなくても当然よ。私もオメガだから、もし分からないこととかあったら聞いてね。蒼ちゃんのお母さんはベータだそうだから、いくらお母さんでもどうしたって分からないことは出てくると思うの。そういう時は私を本当のお母さんだと思って頼ってね。凛の大切な子は私にとっても大切な子だもの」
優美がにっこりと笑った。
(そっか、凛のご両親も運命の番同士なんだ……)
「しっかし、親に向かって馬鹿とは何だ馬鹿とは、凛よ」
「俺の大事な大事な蒼に不快感を与える人間は、いくら親でも例外なく馬鹿と呼ばせてもらうよ」
冷めた目で自分の父を一瞥する凛。
「凛ひどい……。それはともかく、蒼くん、ごめんね」
「あ、いいえ……もう大丈夫ですから」
吐き気も収まり、顔色もだいぶ戻ってきた蒼は一成に向かって笑って手を振った。
「蒼ちゃん夕飯食べられそう? 大丈夫なら手を洗ってらっしゃい」
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