海外からの緊急コール

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 ネット銀行のオンラインシステムが異常停止してしまった。24時間365日ずっと稼働し続けなければならないシステムが止まってしまった。この影響は日本国内だけでなく、海外でのカード利用にも問題が出てしまう。生活を支える重要な社会インフラが動かなくなってしまった。  11月第3月曜日の午前5時10分に、大規模なシステム障害が発生した。システムエンジニアの武藤平蔵はチームメンバーと復旧対応を行っている。1分1秒でも早くシステムを稼働させるために、原因究明と並行して、再稼働作業を進めていた。  障害対応の現場は、想定外の事象に要員も不足していて、混乱しはじめていた。社内や関係会社、他社センターから、問い合わせの電話がひっきりなしに入り、さらに混乱に拍車をかけていった。武藤は陣頭指揮をとり、連絡担当に要員を割り当てながらチームをコントロールしていった。  海外ネットワークのアジア太平洋地域センターからの緊急コールがかかってきてしまった。シンガポールの監視担当から電話があったが、英語対応ができるメンバーいない。全く意思疎通もできない状況に陥っていた。連絡担当がパニック状態となり、業務リーダーの武藤のところへ、携帯電話をもって走ってきた。  「武藤さん!すみません。シンガポールからの電話ですが、全くコミュニケーションが取れず、先方が早口で怒ってます。代わってください」と必死な形相で、武藤へ携帯電話を手渡した。  武藤は、この業務システムの担当になって5年目のリーダーだが、海外との電話対応は初めてだった。海外旅行では ジェスチャーと日本語まじりの片言英語でコミュニケーションをとっているが、電話は声しか使えない。他に任せられるメンバーもいなかったため、武藤は興奮状態のまま勇気を振り絞って「ハロー」と会話をはじめた。  先方から「コチラ、シンガポールデス。ナニガ、オコッテルンデスカ?」という片言の日本語が聞こえてきた。先方も担当が中国系の日本語通訳に代わっていた。武藤が答えようと単語を考えている間に「サインオン、アト、ドレクライ?」と質問が続いた。  「サインオン」とは業務用語で、システムを再開する合図のようなものである。武藤は「復旧見込み時間の問い合わせ」だと理解できた。  緊張感が高まった状態で「イエス。スリー、ミニッツ、・・・」と大きな声で答えた。シンガポール担当は早口な英語で「オッケー!サンキュー!バーイ」と返事があり、一方的に電話回線は閉じられた。  通話が終わり、武藤は復旧対応メンバーのところへ戻った。対応状況を確認しながら、作業の指示出しを続けていった。懸命に対応しているメンバーへ「1つ1つ確認して確実に対応していこう!」と声かけし回っていた。  武藤はふと冷静になって、シンガポールとの会話を振り返った。自分で重大なミスに気づいてしまった。  「やばい、俺は『3分後』と答えてしまった!」  「『30分後』と言いたかったのに。凡ミスしてしまった」  「でも、仕方ない、また催促電話が着たら謝ろう」と腹をくくった。  復旧対応は予定よりも早く稼働ができた。3分後ではなく、20分後になっていたが、シンガポールからの緊急コールはかからなかった。  武藤は事後整理を行いつつ、電話対応をまた振り返った。2つ目のミスに気がつき、苦笑いの表情を浮かべた。  緊張のあまり「イエス。スリー、ミニッツ、アトー」と答えていた。ミスは時間だけでなかった。「日本語がわかる通訳相手だからといって「アトー」の日本語はおかしい」「アフターがアトーになったのか」と自分にツッコミを入れた。武藤は障害対応の緊張感から解放されていった。  翌日、武藤は次回の障害対応に備えて、自分の手帳に英語の1フレーズを書いた。”I'll start the service 30 minutes later.”  その後、結局、このフレーズを使う機会は1度も無かった。  しかしながら、後輩指導のときの失敗談として、飲み会での武勇伝として、この話は鉄板ネタとなり、何度も活用することができている。  失敗は次に活かせば、大切なノウハウになる。
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