柴村智穂と金居蓮は恋人同士ではない

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柴村智穂と金居蓮は恋人同士ではない

 目の前に座った女性がコピー用紙の束に目を通している。  無言の時間。  いつもこの瞬間は苦手だな、と柴村(しばむら)智穂(ちほ)は考えていた。  スーツ姿の女性が熱心に読み進めているのは、智穂が書いた小説……そのプロットだった。 「――今回はいい感じですね。これなら出版まで行けそうです」  顔を上げ、眼鏡の奥の瞳が笑った。 「ほ、本当ですか? 小堀(こほり)さん」  名前を呼ばれた小堀理枝(りえ)はプロットを机の上に置く。 「ええ、最近先生はスランプだったようで、中々調子が上がらなかったようですが、これなら問題なく行けると思います。――編集者としての勘ですが」 「小堀さんにそう言ってもらえるなら、心強いです」 「特に今回の王子様のキャラ設定が、先生の今までの作品とは全く別の――新機軸と言えるかもしれません」 「そ、そうでしょうか」  小堀にしては珍しくベタ褒めで、智穂は照れを隠し切れない。 「ええ、子犬系――とでも言いましょうか。今までは俺様系がメインで、そこもまた先生の作品の魅力でしたが。今作の王子様は、可愛らしくて甘え上手な年下。――これなら新しいファン層の獲得も出来ると思います」  再びプロットを手に取り、小堀は捲し立てる。 「まだプロットの段階ですが、それでも軽やかな文章で、先生の『筆がのっている』状態というのがよくわかります。このままもう本文に入ってしまってください。勢いは大事です」  編集者のお墨付きが出て、いよいよ新作が本格的に書ける。  そう思うと、否が応でも智穂の胸は高鳴った。 「――何か気分転換のコツでもあるのでしょうか。先生は少し前までひどく落ち込まれていて、プロットすら手に着かない状態だったので、私は心配していました」 「それはまぁ……何というか。偶々いいストレス発散方法を見つけた、と言うか……」 「ほほう。それは是非教えて頂きたいですね。先生に言うのは嫌味になるかもしれませんが、編集者というのも中々ストレスの溜まる仕事ですので」  ストレスの原因の中に智穂が含まれているのは間違いない。小堀はちょっとした嫌味のつもりで言ったが智穂には通じなかった。嫌味な感じがしないのは、偏に小堀のサッパリとした性格のお陰だろう。 「いや~……小堀さんには合わないと思うな……」  急に歯切れが悪くなる。智穂の視線が彷徨(さまよ)い、何もない天井へと向かう。  その様子を見て小堀の頭上に『?』マークが浮かんだが、智穂の態度は『内緒にしたいからだろう』と解釈し、話の軌道を戻す。 「なんであれ、兎国院(とこくいん)先生の新作、楽しみにしています。進捗は随時、メールでお知らせください」  プロットを鞄に大切そうに収め、小堀が立ち上がる。 「それではお邪魔致しました。――新作、頑張りましょう」  玄関のドアを開ける寸前、振り返り微笑む。その眩しい笑顔で「頑張りましょう」と言われると、何だかんだ頑張ろう、という気になる。  その度に智穂は「私はとてもよい担当に巡り会えた」そう、思うのだった。  小堀を見送り、部屋に戻った智穂が「ん~……」と伸びをする。ひとまずプロットが通った安心感と開放感から口元が緩む。 「兎国院有里朱(ありす)の新作、やっちゃいますか!」  兎国院有里朱。それが若い世代の女性から支持を集める、恋愛小説家としての柴村智穂のもう一つの名前だった。 「よし、今日は飲んじゃおう!」  何はともあれ景気づけは大切だと言わんばかりに一人、ガッツポーズをする智穂。そしてスマートフォンを手に取り、メッセージを打ち込み始めた。  ――今日みたいに冷える夜は、一人だと寂しいんだよね。
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