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17:00
就業時間になり、営業部内がざわざわと騒がしくなる。
金居蓮は鞄を取り出し、帰宅の準備を始めていた。スマートフォンを取り出すと、画面にはいくつかのメッセージが表示されている。
蓮はその一つに目を止めた。
『今夜、会いたい』
メッセージの送り主は……柴村智穂。
この一週間で三回目。今週は会う回数が多い。――とはいえ、不思議と俺も会いたいと思っていた。
素早くスマートフォンをジャケットの内ポケットに収める。返事は会社を出てから。――人に見られては困る。
大々的に発表はしていないものの、蓮は今彼女募集中。それなのに特定の女性と連絡を取り合っている等と知れては、彼女を作ることもままならない。
それに蓮は今日も残業の予定は無い。会社なんてさっさと出るに限る。逸る気持ちを抑えながら、鞄を持って立ち上がった。
「お疲れ様です。お先に失礼します」
周りに挨拶をしてコートを羽織って廊下に出た時、声を掛けられた。
「金居くん、少しいい?」
振り向くと、同じ部の女性社員が立っていた。
「お疲れ様。どうかしたの? 千堂さん」
蓮が微笑み返事をすると、千堂和夏は僅かに頬を染めた。
百八十センチを超える蓮は、百五十センチに満たない千堂から見ると、ちょっとした巨人のようだった。しかし見上げた先にある整った顔で微笑まれると、入社して数年の付き合いで見慣れている筈なのに、顔が熱くなってしまう。
「今日はもう上がり?」
「そうだね。今日は残業もないし」
「そんなこと言って。私、金居くんが残業しているところ、見たことないけど」
「ははは。そうかなぁ? 繁忙期は残ることもあるし、偶々段取りよく終わっただけだよ」
と、言うものの、実際蓮が残業をするのは稀だった。
「残業しなくても済む要領の良さ、憧れちゃうなぁ。 ……それでこの後って、何か予定ある?」
そう聞かれ、蓮はスマートフォンのメッセージを思い出す。
「この後……。あー。ちょっと野暮用が」
返事を聞くと、千堂は僅かに残念そうな表情をしたものの、すぐに笑顔を取り繕う。
「そっか。私も上がりだから偶には一緒に食事でも……と思ったんだけど。ほら私たち同期だし、親睦を深めるのもいいんじゃないかなーって」
「それは是非。次の機会を楽しみにしているよ。――じゃあ、お先に」
「お疲れ様」
離れていく蓮の背中を寂しそうに見つめる千堂の肩を、別の女性社員が叩いた。
「ドンマイ、和夏。金居くん、予定あるって?」
「うん……。彼女さんと別れたって噂聞いたから。付け入るみたいで悪いけど、チャンスだなって」
「金居蓮といえば、営業部若手のエース。それに高身長でイケメンの超優良物件。競争率ハンパないんだから。――もう既に先を越されているかもよ?」
「……確かに、今の態度ちょっと怪しかったかも」
「営業部以外にも金居くんのことは知れ渡っているからね。最近彼女と別れたって噂が流れたら、そりゃあ争奪戦が始まるよ。――本人のあずかり知らぬところでね」
「むむむ……。ライバルは企画部か、それとも総務部か」
「大丈夫、まだチャンスはあるって。今日は私と反省会と対策会議ってことで呑みに行こう!」
会社を出た蓮は、先ほどの千堂和夏のことを思い出していた。
「……千堂さん、可愛いよなぁ」
誰にも聞こえない、小さな声で呟く。
付き合うならああいう可愛くて優しそうで、家庭的な人がいいよなあ。
左腕に手を当てると、僅かに痛みがある。その痛みで現実に引き戻された気がした。
「でも今はこの傷があるから、彼女とかは無理かな」
自虐気味に、しかしどこか安堵したように笑う。
二月の外気はまだまだ寒く、コートを着ていても身体の芯まで冷えそうになる。
――明日は休み。こんな寒い日は人肌恋しくなる。
ジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出し、素早くメッセージを打ち込む。
『会社出た。今から行くよ。何か要るモノある?』
送り主は、先ほどのメッセージの主。
すぐに返信は無かった。仕事に戻ったのだろうか。
再びスマートフォンをポケットに入れ、駅方面へと歩き出した。
駅に着く頃、返信があった。
『今日、ワイン飲みたい。あと食べるもの無いから適当に買ってきて欲しい』
『はいよ、了解』
素早く返信した蓮は、駅までの通り道の百貨店でワインとチーズ、総菜等を買う。恐らくお酒を飲むことを考えると、そんなに大量には食べないだろう、と予想し、総菜は少なめに。
右手に鞄、左手に買い物袋を持ち、電車に乗り込んだ。
自分のマンションとは反対方向、智穂のマンション方向への電車に。
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