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12
そのまま、男たちに止めを刺しに行こうという気配を見せた紅玉を何とか制して、人が集まり始めたところから翡翠たちは脱出した。紅玉が元の姿に戻った頃には、王と要が駆け寄ってきて、三人に囲まれた翡翠は城下にある宿屋の一室で事情を聴かれることになった。
「無理しないで寝ていろと、俺は言ったはずだな。どうして護衛もなしに、一人で城の外に出た?」
専ら、翡翠に鋭い眼差しで問いかけてくるのは紅玉である。翡翠は無意識に、布を巻いたままの手を隠そうとした。しかし、不自然な動きはすぐに紅玉に見破られてしまい、無理やり片方の手を掴まれる。「止めろ」と翡翠が慌てて言っても聞いてもらえない。要たちがいる前で、翡翠の黒い痣がとうとう露にされてしまった。
自分の主が驚いた表情をし、王も僅かに目を見開くのが見えて、翡翠は今すぐ消えたくなったが、しっかりと手首を握りしめている紅玉がそれを許してくれない。
「……これか?」
紅玉に訊かれ、翡翠は観念して小さく頷き返した。己の醜さを現す痣を見られるのが辛くて、視線を床へと落とすことしかできない。
「琥珀と要は席を外してくれないか。俺は翡翠と二人で話しをしたい」
小さなため息が、紅玉の形の良い唇から零れる。それに翡翠が肩を震わせていると、二人は無言で翡翠を残し、部屋から出ていった。二人にも、呆れられたのだろう。しかし、ここまで来ると、もうこれ以上隠さなくて良いことに翡翠は内心ほっとしていた。
「――いつからだ?」
「先日の、雨の日。あいつらと諍いになって、要と外庭に飛び出した時には違和感があったんだ……」
紅玉の指が、翡翠に宿った痣を確かめるようになぞってきた。やがて紅玉も無言になり、部屋の中は沈黙に支配され始めていた。
(どうすれば……)
もう、さっさと離してくれれば思いきれるのに、紅玉は翡翠の腕を離してくれない。考えれば考えるほど頭は混乱して、訳が分からなくなっていき、堪らず翡翠は口を開いていた。
「……ごめんなさい。きっと、俺が嫉妬していたからなんだ……」
「嫉妬?」
ただの言い訳にしかならなくても、ずっと翡翠が秘めていた言葉を、紅玉に伝えたかった。沈黙を破って、紅玉が怪訝そうな表情で、翡翠に問い返してくる。
「俺はずっと、紅玉のことが……好きだったんだ。でも、要が来てから、紅玉が要に優しく笑いかけているの見て、要のことが好きなんだろうなって。俺は要のことがとても大切なのに、紅玉に想われている要が羨ましくて……」
紅玉からの言葉は、なかった。ないけれど、いきなり強く抱き寄せられて、翡翠の俯いていた視線が、動く。紅玉の顔が見えるのと同時に、再び涙がぼろぼろと零れていった。
「俺の、醜い心が、こうなったんだ。……紅玉に、嫌われたくなかった……!」
「……可愛い顔がぐちゃぐちゃだな」
耳元に寄せられた紅玉の唇が、苦笑混じりに呟いた。
「どうすればそういう勘違いになるんだろうな。俺には、翡翠だけだ」
「おれ、だけ……?」
紅玉の言葉に翡翠が戸惑っていると、苦笑する声と共に、紅玉が翡翠の頬に指を伸ばしてきた。
「要は、お前の友人には丁度良さそうだったから、特別に愛想よくしていただけだ。行儀良かっただろう? それに、この痣はお前の心が醜いからではない。むしろ逆だ。翡翠が俺のことを想っている証のようなもの――俺から離れなければ、そのうち形も落ち着くだろう」
「本当に……?」
嘘は言ったことないだろう、と軽い調子で紅玉が返してくる。それにひどく安心して、翡翠は力が抜けてしまった全身を紅玉へと預けた。
「だから、俺だけにしておけよ」
「俺、昔から紅玉だけだよ?」
くったりともたれたまま翡翠が返すと、小さく――本当に微かに、紅玉が笑った。紅玉がゆっくりと体重をかけてくる。翡翠が慌て始めた頃には、もう紅玉の腕からは抜け出せなくなっていた。
「こ、ぎょく……陛下たちが戻ってきたら――!」
「知るか、そんなもの」
噛み付くように、強く唇と共に言葉を奪われてしまう。
「大人しく翡翠のお願いを聞いたんだ、そろそろご褒美をもらってもいいだろう?」
「ご褒美って……」
ようやく、ほんの少し顔を離した男の凄絶な笑いに、翡翠は嫌な予感がした。しかし、逃げようもなく――苦しいと思うほどの抱擁を受けたのだった。
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