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「翡翠。あの小間使いどもをうるさいと思うのなら、いい加減あいつに言ったらどうだ。翡翠の方が官位は上なんだぞ?」 「それが簡単にできれば、苦労はないんだって。……それより、いい加減あいつじゃなくって陛下とお呼びしろよ。紅玉よりずっと偉い方なんだから」  いつものように、仕事を終えてから廊下を歩いていたところを、紅玉に引っ張られた。連れ込まれた部屋の中で、普段よりも心なしか真剣な表情をした紅玉と、翡翠は相対していた。  紅玉が何を言いたいのかは痛いほど分かっている。だからこそ、白の神子の周囲に対してうまく立ち回れない己を責められている気がしていた。    要を、白の神子を守る盾になること。それが故郷を失った――奪われたも同然だった――翡翠が、この城に居続ける意義だ。白の神子と王を警護する役目を担っている紅玉には、現状が何となく分かっているのだろう。    要の小間使いたちが、神子を軽んじていること。彼らは紅玉や、一定以上身分のある者たちにはその本性を上手に隠している。恐らく、現状を一番知っているのは翡翠くらいかもしれない。王に告げ口をしたくても、確実な証拠は翡翠の証言、それだけだとしたら。最悪なのは、審判の果てに翡翠が失脚し、要を守る盾がいなくなることだ。  要の性格から考えて、翡翠がいなくなった後に小間使いたちの悪意に晒されたとしても、己の伴侶に言うことすらできず、悩み続けるに違いない。そこまで考えてから、翡翠は大きく息を吐き出した。   「俺よりあいつがこの国で偉いからってさ、俺は別に気にしていないから問題ない」 「……問題大ありだ。少しは気にしろよ」  苛々とした気持ちが出て、思わず荒い口調になってしまった。紅玉は驚いたのか、目を大きくして翡翠を見てきた。翡翠が紅玉に出会ってから、会う度に翡翠の前で男が見せる表情は増えていったけれど、目の前の紅玉はどこか気が抜けている風に見えて、翡翠はつい笑ってしまった。  初めて出会った時の紅玉はといえば、泣いている翡翠がいても気にすることなく、広大な外庭の中にある木陰に、ただ黙って座っていた。翡翠も泣くことに夢中で、男がぼうっとしていても、男の存在などしばらくは無視だった。  やがて涙も枯れ、疲れ果てた幼い翡翠が寝転がった時に、男の顔を見て驚いた。長かった髪を無理やり切り取られたような、ざんばらな黒髪に宝石のような紅い瞳。男だと分かるのに恐ろしく綺麗に整った顔。身体は筋肉質というほどではないが、鍛えられて均整の取れた身体をしているのに、兵士には見えない。何もかも、どうでも良いと疲れ果てた子どものように、手足を投げ出していた。   『……あんたの目、すごくきれいだな。まえに一度だけ見たことがある、紅玉って宝石みたい』  翡翠が泣き枯れた声で話しかけると、男は冷たい眼差しで幼い子どもを見下ろしてきた。男に鼻で笑われた気がして、翡翠は喧嘩腰になりながらあれこれ話しかけた気がする。翡翠も、何もかもどうにかなってしまえという気持ちでいっぱいだった。そうしていつの間にか、絶対に話すこともなさそうに思えた男の口を開かせることに成功したのだ。 『良く喚く餓鬼だ』  男の声は低いけれど良い声だなと思ったのに、一番最初の言葉はそれだった。それに腹を立てた翡翠が更に応酬を続けて、疲れ果てて眠りかけると、紅玉は本当に軽々と翡翠の身体を持ち上げたので悔しかった記憶がある。久しぶりに感じた人の温もりに、泣きそうになったことも――覚えている。    最後に男から名前を訊かれて、翡翠が名乗ると彼は「翡翠……」と繰り返した。思えば、翡翠はあの時から紅玉のことが好きだったのかもしれない。誰も彼もが、翡翠のことを『神子のなりそこない』としか呼んではくれない中で、真っ直ぐに翡翠の名を呼んでくれたことが、何よりも嬉しかった。  紅玉、と。翡翠が彼の瞳の色を例えて言った宝石と同じ名前だった男は、王を護る部隊の隊長という肩書きで、翡翠の前に後日現れた。  そんな過去もあり、年は離れていても、紅玉はこの城にいる誰よりも翡翠にとっては親しい存在だ。実のところ、紅玉は何歳なのか、男がどこの出身なのかすら知らない、不思議な繋がりではあるが。白の神子が現れて以降の変化も、ずっと傍にいた翡翠にはすぐに分かった。  紅玉に認めてもらうために――何よりも、翡翠に笑いかけてくれる要のためにも、どうにかしなければいけないことは翡翠にも分かっているのに。自分が、要や紅玉のそばに残りたくて、動けないでいる。  そこまで思考の海に沈んでいたところに、急に髪をぐしゃぐしゃにされて、翡翠は驚いて声を上げた。視線を上げると、そこにはやれやれといった風に笑う男がいる。 「お前なあ。どうしようもなくなる前に、ちゃんと助けてって言えよ?」 「……紅玉に助けてなんて言ったら、何を要求されるか分からないから嫌だ」  可愛くないな、と呟く紅玉の吐息が聞こえた。寝台に押し倒され、荒々しい口づけを受ける。この瞬間だけは紅玉に愛されているような気がして、勘違いしそうになってしまう。そんな自分が恥ずかしくなり、逃げ出そうとした翡翠だったが、もう逃げるには遅かった。
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