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「……神子のなり損ない風情が、本物の神子に取り入って、さぞや楽しかっただろうね? たかが庶民出のくせに」  勉強はできるのだろうが、どこまでも根本的な部分で頭の悪い男たちに、翡翠は疲れて顔を俯けた。どうやら、最初から狙いは神子ではなく翡翠だったらしい。翡翠が怯えているのだと思った男たちは、満足げに鼻で笑っている。 「どうせ、その貧相な身体でいろんな連中に媚売って、その地位を手に入れたんだろう? だったらぼくらのお友達にも分けてやってよ」 「何を言って……」  小間使いの男たちが、無骨な感じのする兵士たちを数人呼び寄せた。翡翠と要が座っていたこの場所は外朝側だ。紅玉が長を勤める王護部隊は、王の私的な場所である内廷を警護する。外朝から王都全般を護衛するのは、右軍や左軍といった王軍の兵士達であることは翡翠も分かっている。  しかし、内廷からほとんど外朝側に出ることのない翡翠には、ぞろぞろと現れた彼らとの面識はまったくない。翡翠を知らない彼らも、最初は戸惑っていたが、小間使いの男たちが翡翠のことを「内廷にいる下働きだ」と言い放った途端、一斉に下卑た笑いを浮かべた。 「内廷じゃ、下男でもこんな可愛い顔して、綺麗な服を着ているのか? 本当に、好きにしても問題ないんだろうな」 「いいのいいの。こいつがこのすました顔を崩して号泣するところを、見てみたい。庶民のくせに、陛下や神子にすり寄ってご機嫌を取ろうとしてさ。こいつのせいで、僕たちは小間使いをクビになったんだ!」  もしかしたら、小間使いたちの言動を知った王が、早々に動いてくれたのかもしれない。そう思い、こんな場面なのに翡翠は安堵した。これで少しでも、悪意を持つ彼らから要を離すことができれば良い。  要を先に逃すことができて良かったと思いながら、翡翠は男たちを眺めていた。翡翠の古傷にすら泣いてしまう主人に、こんな醜い光景など見せたくない。この世界は美しいのだと、思っていて欲しかった。 「おい、こいつ大丈夫なのか? 自分の状況が分かっていないみたいだが」 「……俺は正気だ。因果応報というのは、あるんだなと思って」  翡翠がそう返した時。兵士たちが手を出すよりも先に、元小間使いの一人が、翡翠の腹部を殴りつけてきた。衝撃は受けたが、普段から話すことしかしていない男は非力で、痛みはほとんどない。翡翠もすぐに相手の膝を蹴り払うと、情けない声を上げて男が地面に転がる。場がどよめいたのを聞きながら翡翠も脱出しようとしたが、木陰に隠れていた兵士が後ろから抱き着いてきた。体格差が大きくて、翡翠が力いっぱいもがいても、腕から逃れることができない。 「捕まえたぞ!」  勝ち誇った声に、男たちが再び翡翠の周囲に集まってくる。どうしようもならない状況に、翡翠が目をとじた時。近くで鳥が羽ばたくような音が、聞こえた。 「王軍の中に、こんな下賤な者どもが混じっていたとは。神子の侍従から手を離せ。貴様らよりずっと格上の相手に、無礼であろう」 「え! 神子の侍従?!」  翡翠の体を拘束していた兵士が、驚きの声を上げ、ようやく翡翠の身体は自由になった。黒髪の男――紅玉が、息を乱すことなく木陰の中から、翡翠の目の前に現れた。    「……紅玉?」  翡翠が呼びかけても、紅玉は翡翠を見ない。……怒っている。そんな気配が全身から漂っていた。いつもの、へらへらと笑う適当男の面影は、どこにもない。 「み、神子の侍従殿とは知らず……!」 「相手が庶民なら、暴虐をしても許されると?」  いいえ、と兵士たちが一斉に額づいた。王護部隊は王を直に守る立場であり、右軍左軍の上に位置する。当然、その長である紅玉は、彼らの将よりも位が上ということになる。翡翠を捕らえていた兵士も、他の男たちと同様に額づいていたが、紅玉はその男に近づくと男の手のひらを容赦なく踏みつけた。悲鳴が上がる中、真紅の瞳が、震えあがっている元小間使いたちを感情もなく見やる。 「自身の失態で職を失った愚か者どもが、何故立ってその腑抜けた顔を晒していられるのだ。控えろ」  怒りを孕んだ、紅玉の低い一声。元小間使いたちは顔を青くしながら、地面に這いつくばった。綺麗な服が、ぬかるんだ地面に触れてじんわりと汚れていく。 (……要を巻き込んでしまったから……)  思えば、紅玉がまともに怒る姿を、翡翠は一度も見たことがない。嫌そうにしているところなどは何度も見たことがあるけれど、ここまで明確に怒っている姿は初めてだ。  やがて紅玉の部下たちが駆け付けてくると、地面に額づいたままだった男たちをまとめて連行していった。翡翠一人ならともかく、彼らは最初、神子をも巻き込もうとしていた。彼らに同情する気持ちは、さすがに翡翠にもない。そして、紅玉や王護部隊がここに来たのなら、要は無事保護されたのだ――そう考えるに至って、翡翠の体から一気に力が抜けて行く。立っていられなくなり、その場にしゃがみこんでしまった。逃げ出そうとした時にすっかりと雨に濡れてしまい、服も重い。  ようやく、紅玉が翡翠に近づいてきた。翡翠を支え起こすと、自身の外套を脱いで翡翠に巻きつけてくる。「汚れるから」と翡翠が遠慮しようとして、震える声を出すと、「喋るな」と低い声が返ってきた。 「ごめん、紅玉。要を――神子を、巻き込んでしまって……」 「――喋るなと言っている」  苛立っている紅玉の声に、翡翠は項垂れる。男は荒々しい手つきで翡翠を抱え上げた。そうして、雨を避けるように大木の下を通りながら、内廷へと向かうのだった。
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