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01 *
「要さま。見つけましたよ!」
木陰に隠れている主を見つけだして、少年――翡翠はようやく安堵の息をついた。朝からずっと、食事をとることもなく逃げ回っていた己の主を、ようやく見つけたのだ。木陰にいた小柄な人影は、翡翠が声をかけるのと同時に身を震わせ、それからしぶしぶと翡翠の前に出てきた。
「……戻りたくない、です」
「皆が心配してますよ」
翡翠は、己に出来る限りの優しい声音で、相手へと話しかける。翡翠とあまり変わらない年頃の、少年の姿をした主は、この国でも上等な服を着ても、嬉しくはなさそうだった。
翡翠の主は、彼が望んでいなかったのに、大好きな家族や、友人……そういうものから突然切り離されて、この世界に召喚されてしまったという。彼が唯一この世界に持ち込めたのは、要という名前だけだった。部屋からこうやって逃走するようになっただけ、元気が出てきた証拠かな、と翡翠は考えている。
そんな主の境遇は理解しているものの、それでも翡翠は少し、主のことが羨ましかった。彼は、『白の神子』としてこの世界と王に望まれ、呼ばれたのだから。
「……翡翠はすぐに僕のこと、見つけてしまうんだね」
もう少しで泣きそう、という表情でようやく主――要が翡翠に話しかけてきた。
最初は言葉も覚束なかったが、王と契りを交わしてからは、急速に要の身体はこの世界に馴染んでいった。その右手の甲には、どうやっても消すことのできない、神子としての確かな証――白い輪郭の、獅子の姿――が刻まれている。それは、この世界の三王君の一人であり、この国の主である王の番いであることの、紛れもない証でもある。
「何となく、分かります。俺もここに来たばかりの頃は、しょっちゅうここに逃げ込んで、めそめそしていたので」
この城に初めて連れて来られた時、翡翠はまだ小さな子どもだった。いつか故郷に帰りたいという仄かな希望を密かに持ちながらも、必死に務めてきた。最初の頃は、翡翠の味方など存在しなかったこの城での生活はとても辛くて、今の要と同じように、木陰に隠れて泣いたことも何度かあった。
「翡翠も? 本当……?」
驚いた様子の要が、恐る恐る問いかけてくる。自分で言いだしたのに、あらためて聞かれると、翡翠は恥ずかしくなった。はにかみながら頷き返すと、ようやく主も笑顔になる。こうして要が笑うと、翡翠まで嬉しくなる――そんな不思議な魅力を、要は持っていた。
自分の主にはもっと、この世界を楽しんでほしいと翡翠は思っている。王の寵愛を受けているのは彼一人だけ。王が待っていた本物の神子は、要だったのだから。
「こんなところにいたのか、神子殿。そろそろ戻らぬと、あいつが探しに来るぞ」
不意に頭上から声が降ってきて、それに驚いた翡翠が飛び上がりかけた。こんな登場の仕方をするのは、城の中で一人しか思い当たらない。
一方、要は翡翠同様に驚きつつも、ぼうっと今現れたばかりの男を見上げている。翡翠は折角の雰囲気を台無しにした男に、思いっきり眉根を寄せて睨み上げた。
「紅玉だって、『こんなところ』でさぼっているだろ! それから、陛下のことはちゃんと陛下と呼べ! 不敬だ!!」
その名の通り紅い瞳を見上げながら、翡翠が精一杯の怒りを込めて怒鳴っても、男――紅玉はへらりと笑って返すだけだ。軽々と木から降りてくると、翡翠のくせっ毛ではねてばかりの髪を、くしゃくしゃとかきまぜて余計に悪化させた。
「神子殿。あいつは無愛想で分かりにくいが、毎日神子殿に逃げ出されて、いい加減落ち込んでいるらしい。顔を出してやれ。あいつと神子殿は、もっと言葉を交わした方が良い。それに、神子殿が無理をされると、貴方に仕える者たちが、叱責を受ける」
「あ……、そうですよね……ごめんなさい」
息を飲み、要が悄然となる。翡翠はそれが可哀相に思えて、隣に立つ紅玉をもう一度睨みつけた――が、男が思ったよりも優しい表情で、主を見ていることに翡翠は気づいた。
「……戻ります」
「うん。良い子だ」
また、紅玉が穏やかに笑う。翡翠にはいつも適当で意地悪なことしか言わないのに、要の前では態度そのものが違う。いや、翡翠以外の人々には、いつもそうだ。"優しくて面倒見の良い紅玉隊長"――それが、城に勤める人々の合致した認識だろう。
けれど、やはり翡翠にとっては意地悪ばかり。皮肉の達人で、髪から服装から、何でもかんでも適当にしているへらへら男だ。翡翠は、そんな男が気になってしまう自分が嫌だった。
***
「紅玉さんも、僕がいるところが分かるみたいだね。翡翠が来ると、必ずやって来るもの」
「……紅玉殿は、人というより獣みたいなものですから、野生の勘じゃないでしょうか。本能で生きてるんです、あの男は。それよりもお腹がすきませんか? 今日は、見ても楽しめるようにと、特に料理人たちがこだわって作っておりましたよ」
早く何かお腹に入れて欲しくて、翡翠はゆったりと歩く要と手を繋ぎ、廊下を急ぐ。
紅玉が白の神子の居場所を見つけることが出来るのは、いつも彼のことを気にかけているからだと、翡翠は考えている。王の側近中の側近――王護部隊の隊長を務めているからというのもあるのが、要の傍にいるからこそ、男が神子を見る時、優し気な表情になるのが嫌でも見えてしまう。
要の息遣いが段々苦しそうになってきたところで、ようやく王の私的な場所である寝殿の一室へと辿りつく。要に先立って部屋の扉を開くと、いつになく無表情の王が立ったまま己の神子の帰りを待っていた。
王は、要の姿を認めた次の瞬間には足早に近づき、要の細い腕を掴むと部屋の奥へと引きずり込んでいく。
要が助けを求めるような目でこちらを見てきたが、翡翠はそっと、扉をしめた。要はまだ分からないと言うけれど、翡翠は一見無愛想に見える王が優しい人物なのだと、知っている。だが、この世界の摂理で弱り始めていた王は、やっと自分の伴侶となるべき相手に出会えて、焦っているのだと翡翠は考えていた。王は、要のことを片時も離さずにいたいと考えている。だが、王が雄弁に己の感情を語るわけでもないようで、まだ要には伝わっていないらしい。
しかし。先ほど紅玉が言っていたように、もしかしたら今この時も、彼の大事な伴侶のために言葉を砕いて、一生懸命に話そうと頑張っているのかもしれない。そう考えると微笑ましく思えて、翡翠はつい口元に笑みを浮かべながら廊下を歩いていた。
「翡翠」
そうして。白の神子に与えられた部屋から、だいぶ離れたところで、翡翠は急に片方の手を引っ張られた。寝殿は王の私的な場所であるが、建物自体は大きく、王や神子が使う部屋から離れると、寝殿に勤める侍従や使用人たちの部屋がある。
その中の、一つ。王の寝殿の中までも警護を担当する王護部隊に与えられている、小さな部屋へと、翡翠は連れ込まれてしまった。翡翠がじたばたと暴れても、身体に巻きついた長身の男の腕が離れる気配は、一切ない。
「紅玉っ、昼間からやめろよ!!」
男は翡翠の非難を聞いても楽し気な様子で扉を閉めて、錠を落とした。そうして背を屈めると、翡翠の唇へと顔を寄せてくる。
仕事中だぞ、と続けた翡翠だが、「後は休みで良いと許可を取って来た」とあっさり返されてしまう。それから、ゆっくりと首筋を紅玉の形の良い唇でなぞられていく毎に、たまらない感触に身を震わせるはめになった。
「やッ……あ……!」
紅玉の唇が、翡翠のいたるところに口づけしてくる。文句はたくさんあるけれど、翡翠は紅玉のことが嫌いなわけではない――むしろ、大好きだ。大好きなのだけれど、紅玉は、翡翠に白の神子の姿を重ねているのかもしれない、と思うと辛かった。
翡翠が紅玉と身体の関係を持ったのは、これが初めてではない。白の神子がこの世界に来て、翡翠が神子の侍従に選ばれてからというもの、日を一日置くことなく、仕事が終わるのを見計らって翡翠の部屋に紅玉が入り浸るようになった。
最初の頃はただ触れてくるだけだったのに、一線を越えてからはこうして仕事中にちょっかいを出してくることも珍しくない。その意地悪くて、当の本人の楽しそうな様子からは、普段神子や王、その他大勢の前での優しく笑い、そつなく仕事をこなす優秀な隊長の面影は排除されている。
紅玉の本心が分からないまま身体を繋いでいるうちに、ある日唐突に翡翠は閃いた。翡翠と要は、顔のかたちなどは似ていないけれど、背丈や体型はなんとなく似ている。要は白の神子として王のつがいに選ばれており、手を出すことはできない。白の神子に一目ぼれした紅玉が、自身の気持ちを収めるために、翡翠を相手にしているのではないか――というものだ。
尋ねてみたいけれど、あっさりと「その通り」と返されるのが怖くて、結局ずるずると今に至っている。
「翡翠、もっと声出せ」
「……やあっ、……だめ……!」
奥深くまで、紅玉の硬い雄が潜り込んでいる。その存在をわざとらしく示すかのような、緩やかな動きに伴って濡れた音が耳を打ち、余計に翡翠の羞恥を煽る。耐えきれずに「うごいて」と口走ると、ぎりぎりまで引き抜かれ、それから一気に貫かれ――翡翠は堪えきれずに高い声を上げてしまった。無意識に、つい羨んでしまう程に着痩せする、紅玉の綺麗な身体に必死に縋っていた。
「……やっ、あッ……~~~」
正常位で繋がったまま、強い力で抱き返されながら、激しさを増していく紅玉の動きに、細い翡翠の足が揺れる。身体の相性が良いのか、それともいい加減身体を慣らされてしまったのか。多少激しくされても気持ちよい、と思える自分に羞恥を覚えることすら、快楽に流されている今の翡翠にはできない。
そうして。
「――早く、俺の手に落ちればいいのに」
耳元で、低い声で囁かれた言葉の意味が、蕩けている翡翠には分からなかった。
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