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(あんたさぁ、ウチに定期入れ、忘れたでしょ)  電話の向こうで美奈子が言った。 「え? そう?」 (そうだよ。ソファの下に落ちてたよ。さっき旦那が見つけたの) 「そっか……悪い」と言いつつ、あたしはあのイケメンの顔を性懲りもなく思い出している。 (いまからじゃ取りに来るにも遅いでしょ? 明日、旦那が会社に届けてあげるって言ってるけど) 「え? わざわざ?」 (うふ、やっぱ覚えてないんだ)美奈子がくすくす笑った。(あんたの会社と旦那の会社、案外近いんだって、昨日盛り上がってたんだよ) 「あ、そうだっけ」 (そうだよ。どっちも丸の内で、二ブロックしか離れてないって……その話する度に乾杯してたじゃない。もう数えきれないくらい) 「……だっけ?」 (あはは、やっぱり覚えてない! やった! ミツユキ、覚えてないってよ。あたしの勝ちね。高輪のル・トリアノンでディナーだからね!)電話の向こうで、イケメン旦那の、うわ、まいったなー、という苦笑が漏れ聞こえ、また美奈子の声が戻って来る。(ふふふ、旦那と賭けたのよ。あんたが覚えてるかどうかで) 「そ……そうなんだ」 (旦那と代わるね。時間とか、決めてよ) 「え? ちょ、ちょっと……」 (ああ、昨日はどうも、ミツユキです)美奈子のきんきん声が、心地よいテノールに代わった。(ぼくもすっかり酔ってしまって、失礼しました)  その後、あたしの醜態に関する皮肉が続くかと緊張したけど、美奈子の旦那はそれ以上昨日のことには触れようとせず、事務的に明日の都合を訊いた。(ぼくは比較的時間の自由がきくんで、伺いますよ。歩いて五分くらいだし)  それでは申し訳ない、いや気になさらず、と社交辞令の押し問答があって、じゃ、せめてお昼を御馳走させてください、とあたしは言った。 (そうですか。賭けに負けちゃって、美奈子にディナーをおごらされるんで、ランチ代が助かるのはありがたいですね。それじゃ遠慮なく御馳走になります)  ミツユキは素直にそう言って、時間は正午、場所はあたしの会社のロビーに決まると、再び美奈子に代わった。 (んじゃ、またね)  傍で旦那が友達と、ランチとはいえ食事の約束をしてるのに、美奈子は平然としていた。旦那を信頼しているのか。麗しい夫婦の愛か。  いやいや、んなわけない。  あたしなんかに盗られるはずないって、高括って余裕かましてんだ、あのビッチ!  電話を切ると、食欲がすっかり失せていた。スーパーカップMAX濃いコクとんこつが伸びるに任せて、あたしは暫くスマホを持ったまま、怒りとか、恥ずかしさとか、悔しさとか、欲情とかが入り混じった、複雑な感情にさらされていた。なんか気がついたら、泣いてもいた。  無意識にスマホをいじっていたらしく、涙にくもった目でふと画面を見ると、いつの間にか写真が出ている。  美奈子と、美奈子の旦那と、あたしのスリー・ショットだ。  美奈子はつんと澄ましている。旦那は当惑している。あたし一人がご機嫌で笑っている。  まったく覚えていないけど、酔っぱらって自撮りしたんだろう。  指で横に流すと、他にも昨日撮ったらしい写真が何枚も何枚も出てきた。新妻連中はまったく写っていないから、あたし一人が居残って飲み続け、撮りまくったに違いない。まったく恥ずかしいったらない。  そうして最後の一枚になった時、あたしの指が止まった。  美奈子も、美奈子の旦那も写っていない、あたし一人のショット。  だが、その写真には、何か違和感があったのだ。
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