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ハードコア・レジェンド
プロレスとは6メートル四方の舞台の上で行われるショーだ。
「──オッオー! 警戒しろ! こいつは人食いモンスターだ! 194センチ! 112kg! 残虐王・タウンゼントの登場だ! 今夜の試合は反則規定の無いハードコア・デス・マッチ! 今日このリングで、あなたは恐怖の殺戮を目撃するだろう!」
舞台の上に上がる者は全員が役者で、あらゆるものは舞台装置だ。
「──若き挑戦者、金髪の貴公子・ミッシェルが果敢に攻撃を続ける! だが相手はハードコアの申し子、タウンゼントだ! ああー! タウンゼント、得意の凶器攻撃だ! ボールペンでミッシェルの額をめった刺しにしている!!」
全ての役者にはキャラクターが与えられる。あるものは無敵のスーパーアスリート。あるものはジャングルの奥から現れた不気味なシャーマン。
そして、俺の使うギミックは…… この通りだ。
「──タウンゼントが今度はパイプ椅子でミッシェルの顔を潰す! なんてこった! イケメンが血で真っ赤になっている! これは最早試合じゃない! 殺人だ!」
世の中には人を傷みつける事に快感を感じるヤツもいるんだろうが、俺はそうじゃない。
相手に血を流させるたび、硬いアスファルトの上に相手の身体を投げつけるたび、いつも恐怖している。
もしかしたら、殺してしまうのでは無いかと。
そうでなくても、取り返しの付かない怪我を負わせたり、二度と戦えないほどのトラウマを与えてしまうのではないか。
リングの上ではストーリー的には相手は敵だ。だが考えてみてくれ、俺たちは同じ会社に雇われた同僚でもあるんだ。
あいつも俺と同じように、きつい下積みを重ねて扱きに耐え、そして舞台に上がってるはずだ。
それを痛みつけるだなんて。
「──リングの上にテーブルを乗せたぞ!? なんとその上に画鋲を撒いている! やめろタウンゼント! アァー!! ミッシェルがテーブルの上にたたきつけられた!! 全身画鋲まみれだ!!」
全く、酷く煽ってくれるもんだぜ。だがそれが、俺たちに望まれている事だ。観客が望むのはたったの一つ、そう、刺激だ。
俺のキャラクターを考えてくれたのは俺のレスリングの師匠であるフレディという男だ。
でかいガタイといかにも人を食い殺しそうな面相を最大限に役に立てたキャラだ。
インターネットで殺人犯の写真を検索して、毎日鏡の前で恐ろしい顔の練習をしたもんだ。
その甲斐あって俺はもう押しも押されぬスターになった。ステーキだって毎日食える。
「──ミッシェル選手、立ち上がれない! 完全に意識を失っているぞ! 破壊王が若き貴公子を完全に破壊してしまった! ああ、さらに意識の無いミッシェルに追い討ちの噛み付きだ! なんという男だ!」
もちろん本気で噛み付いたりしないさ。俺はマジで動かないミッシェルの身体を起こして、耳元で囁いてたんだ。
「オイ、大丈夫か? もうスリーカウントだぞ 起きろ」
そしたらあいつはこう返した。「もうこんな事はいやだ」と。
くそっ、最低だ。
「素晴らしいショーだったタウンゼント! 配信PV数が10万人を超えたぞ! 大成功だ!」
試合後、バックステージの控え室で声をかけられた。声の主は団体のオーナーのフレッドだ。
一代で団体を巨大企業に成長させたキレ者で、それだけにショーに対しては決っして妥協しない男だ。
舞台裏で、従業員である選手に媚びるようなタイプではない。その言葉は額面通りに受け取ってよいものだろう。
だが俺にはねぎらいの言葉よりも、大事な事がある。
「フレッド、ミッシェルの様子は?」
「ああ、あいつなら心配ない たいした傷じゃない、お前なら見ればわかるだろう」
「そうじゃない、どうして俺とやらせたんだフレッド あいつはハードコアマッチをやるタイプじゃないだろう」
俺は苛立っていた。さっき叩き潰したミッシェルはまだ20そこそこのデビューしたてのレスラーだ。
若いが顔も良いし、才能もある。将来有望な奴であるのは見ていてもわかるし、今日の試合でも相対してよく判った。
それなのに、どうして選手生命を縮めかねない危険な試合をさせるんだ。まぁ今更だが。
「登竜門ってやつだよ あいつは女受けが良いからな、最近生意気な口を聞くようになった 今回の負けブックを飲ませるのにも苦労した」
プロレスのリングが舞台なら、試合ってのはその上で描かれるドラマみたいなもんだ。当然ドラマには筋書きがある。
事前の綿密な打ち合わせと練習無しにはこのショーは成功しないんだ。
誰だって負けるのは嫌だろう。とくに、人気上昇中の正統派のイケメンレスラーなら尚更だ。
彼をぶちのめして勝った俺に対しても、ミッシェルのファンが中指を突き立てて向けてくるのは想像できる。
「試合前からあいつはビビってた それに、試合中に本気で失神してたぞ! 俺には成功とは思えない、フレッド」
ミッシェルをリングの外に向けて投げ落とした時、受け身に失敗したあいつはモロに頭をぶつけて本当に失神してた。
無理もない、練習は重ねていても本番でこんなハードな受け身を成功させるのは難しいんだ。
全く気が滅入る。彼に後遺症が残ったりしてなければいいが……
「いいかタウンゼント お前は最高のパフォーマンスをした あのガキがこれで潰れるようなタマならそれまでって事だ だがもしかしたら? これがきっかけでアイツはもっと花開くかもしれない それよりも集中しろ、今夜はもう一試合、メインのカードがあるんだぞ」
スタッフが冷たいタオルとスポーツドリンクを用意してくれた。長い付き合いのドクターが俺の身体を調べ、トレーナーがほてった体と筋肉を揉み解す。
そうだ、さっきの試合は前座に過ぎない。今夜のメインイベントはこの後の試合だ。
「──今夜のメインイベント! ご紹介しましょう! 187センチ!84kg! ヘビー級チャンピオン! テキサスの狂人! ザ・フレディ!! 彼は会場にある全ての物を凶器として使うハードコアのパイオニア!伝説の男です! そして対するはフレディの愛弟子! 194センチ!112kg! 残虐王・タウンゼント!本日二試合目となります! さぁ親子とも言えるこの二人はヘビー級タイトルを賭けたハードコアマッチに挑む!」
リングへと続くエントランスロードへ進む。この瞬間が大好きだ。大勢の信頼するスタッフたちが声をかけ、俺の身体にタッチしていく。
そして。
「──さぁ現れました! 先ほどミッシェルを血祭りに上げた男が! 今度は師であるフレディをその手にかけようとしている!!」
でかい音のロックBGMと花火があがり、観客たちの歓声が洪水のように押し寄せてくる。この瞬間の興奮は何にも変えがたい。
俺は今誰よりも熱く、誰よりもハードに生きているんだと実感できる瞬間だった。今このときだけは俺は最強の男だ。
リングに上がった向こうに、フレディの姿がある。頭はハゲあがり、腹も垂れて皺だらけだ。
俺はボロいプロレス道場で育った。親に捨てられた俺にとって道場こそが家で、師匠のフレディは父親だ。
彼のしごきは悪夢そのものだったが、その甲斐あってこの強靭な肉体とたしかな技術を手に入れた。
プロレススターに求められるのは何よりも肉体の説得力だ。ヒョロガリ野朗が戦ってもシラけるだろ?
フレディはもう60過ぎの老人だが、今でもまだこうしてリングに立っている。本当に、世界一タフな男だ。
彼はもう40年もこの世界で生きている。立派な偉業だ。試合や練習で何度も傷を負い、その度に立ち上がってきた。
彼は言うんだ。これが俺の生き方だと。
俺が初めて試合に出たのは16の頃、良い試合をすればステーキを食えたし、そうでない時はしごきを倍にされた。
それから20年、俺は下積みを重ね、フレディと供に大きな団体と契約した。
そして念願の師弟対決の夢がかなった。
もう何年も前からこのストーリーのための綿密な準備を俺たちはしてきた。
プロレスにおける王道の試合展開はだいたいこうだ。
たがいに技をかけあい、どちらか一方が苦境に立たされて派手な攻撃を何度も受ける。
よわよわしい抵抗もむなしく、強烈な必殺技で昏倒し、絶体絶命の危機に陥る。
だが起死回生の一撃で反撃を加え、華々しい逆転の攻勢に打って出て、お決まりの必殺技を放って感動のスリーカウントを大合唱で受ける。
それがよくある展開だ。だが今夜の試合は違う。
俺もフレディも血みどろのハードコア・スタイルのレスラーだ。相手をフォールするのではなく、徹底的に痛みつけてぶっ潰す。
だからその二人の試合に会社が、そして観客が求めるのは血だ。凄惨な殺し合いだ。
「──フレディ選手、タウンゼントを投げつけたがフォールに行かない! なぜかリングから降りて何かを探している様子です!」
俺たちの試合はなんでもアリだ。本当にな。
「──これは! 有刺鉄線を巻きつけたバットです! 鉄線バットを手にリングに戻る!! 通常ルールなら即退場です! だがこれはハードコアマッチ! 反則規定はありません!」
こいつは強烈だぜ。フレディは俺が頑丈だと知ってるから手加減せずに振りかぶってくる。その上、棘を額にこすり付ける。
手馴れたものだ。こいつはとても有効な手段だ。
「──タウンゼント、顔面から大量出血! ミッシェルの顔面を破壊した男が、今度は師匠であるフレディに破壊されています!」
全く見事なストーリーだ。人気で正義の味方のベビーフェイスのフェイスを潰した俺がこうして意趣返しを受ければ、ミッシェルファンの溜飲が下がる。
そして噴出した血に観客たちは大興奮という寸法だ。じゃぁ今度はこっちの番だ。
リング下にはあらゆる武器が揃っている。先ほどのバット以外にも画鋲や、有刺鉄線を貼り付けたボード、ご丁寧に出す順番の通りに付箋が張られて綺麗に並べてある。
最後の締めとなる番号の書かれた付箋には、特製テーブルとガソリン。こいつは最高に盛り上がる小道具だ。
「──強烈な一撃! 今度は年寄りのフレディが有刺鉄線ボードの上にたたきつけられた! 皮膚が剥がれていく! 大惨事だ!」
さぁ見ろ。コレが俺たち流の戦いだ。血にまみれ、身体中に生傷を作り、凶器を振り上げて戦うんだ。
会場の巨大スクリーンに悲鳴を上げる女の顔が映し出される。俺たちと違ってあの顔は演技じゃない。本当の恐怖の顔だ。
最高のショーになる確信があった。 だが事故は起こるものだ。
「──タウンゼントがボールペンでフレディの顔を滅多刺しだ!」
嫌な感触があった。血を流しすぎたせいで手元が狂っちまった。ボールペンはフレディの右目にささり、彼は目を押さえて転げまわった。
「──どうしたんでしょう!? フレディ選手、目を押さえています! タウンゼントがボールペンで目を刺したようです! なんという悪辣な所業!!」
解説に悪意が無いのはわかってる。彼らも立派なプロで大事な舞台装置だ。だがその声が、今は俺の焦燥を煽った。
レフェリーが俺に近寄ってくる。レフェリーはインカムを備え、マイクで常に控えスタッフと連絡を取り合っている。
異変に気付いてコンタクトをとっているのだ。
俺は観客にそれと知られぬように、レフェリーに状況を告げた。彼は今度はフレディの方へ向かった。
倒れて転げまわるフレディの状態を確かめにいくのだろう。ああ、神様、どうか彼が無事でありますように。
俺は試合が台無しなってしまった事を悟った。おそらく、そのままフレディは病院へ運ばれるのだろう。目尻から涙が溢れてきたが、幸いなことに血と汗に隠れて誰にも気付かれ無いはずだ。
リングの上の俺は、残虐王なんだ。
中途半端なところで試合が終わってしまう。俺はすがるような気持ちでベンチに座るフレッドを見た。
レフェリーからマイク越しに状況は伝えられているはずだ。彼が首を横に振れば、そこで試合は止まる。
……なぜだ、何故振らない? フレッドは腕を組んだままだ。つまり、試合はこのまま続行なのだ。なんてこった。
もがくフレディの腕を掴んで、無理やり立たせた、そして耳元でささやく。
「目は大丈夫かフレディ すぐ試合は終わらせよう」
だが帰ってきた答えはこうだった。
「ダメだ フィニッシュはテーブルを使うんだろう」
くそっ、なんて男だ。だが彼の性分は俺が誰よりも一番よくしっている。こうなったら死んでも引き下がることは無い。
だから俺に残された選択肢は一つだけだ。
もがくフレディの顔を踏みつけ、観客にアピールする。皆お待ちかねの処刑タイムだ。
大きく舌を突き出し、首をかき斬るジェスチャーをする。俺がこの動きを見せると必ずファンはこう返す。
「Kill him!」「Kill him!」「Kill him!」
「──タウンゼントがリングの上にテーブルを設置しました! その上に画鋲と…… なんてことだ! さらに火を放った! ここにフレディをたたき付けるつもりなのか!? やめろ! 殺してしまうぞ!」
俺はフレディの身体を持ち上げ、コーナーに上がった。もうすぐこの死闘は終わる。
だがしかし、きっと彼の視力を戻すにはもう遅い。
「──あー!! なんとここでフレディが逆襲! 逆にタウンゼントをテーブル火葬に!! 強し! ハードコア・レジェンドは健在なりぃ!!」
試合は終わった。チャンピオンタイトルはレジェンドであるフレディが守った。
俺たちの死闘は今シーズンのベストバウトに選ばれ、有料配信でも一番の人気となった。
ここまでは筋書きの通りだったが彼の目については誤算だった。
結局、右目の視力は戻ることは無いと医師に告げられ、しばらくフレディは休養することになった。
俺は泣いて彼に謝ったが彼は笑っていた。
「何言ってんだタウンゼント お前は俺の最高の息子だ レスラーが試合で怪我をするのは当たり前だろう これが俺の生き方なんだ」
それでも俺の心は晴れなかった。
あれから二ヶ月が経ち次のツアーが間近に迫っていたが全くそんなつもりになれない。
フレディはもう高齢だ。口にはしていないがきっともう引退を決めている事だろう。
歳もさることながら、片目でリングに上がるのは相当に厳しいものだ。
俺は自宅のマンションの部屋で一人で塞ぎこんでいた。
もう何日もマネージャーとも連絡をとっていない。朝から酒を飲み、一日中ソファの上で過ごした。
他に口に入れるものといえばアスピリンの錠剤くらいだ。
会社は俺を見かねて、精神科医を寄越してカウンセリングをするよう勧められたが、クソ食らえだ。
この20年間のレスリング生活で、今が一番最低の気分だ。
だがあの人は20年どころか40年以上もレスラーとして生きてきた。
その光を、文字通りに俺が奪ってしまったんだ。
電話が鳴った。案の定会社からで、相手はフレッドだった。
あの試合以来、引き篭もりがちの俺に、社長じきじきにお言葉をかけてくださる様だ。
「タウンゼント、いつまで落ち込んでいるんだ 次のツアーはもうすぐだ、はやく打ち合わせに来い」
「フレッド…… すまないが今はそんな気になれない 次のツアーは俺は辞させてくれ」
「バカなことを言うな! お前は…… まったく、いいから早くテレビをつけて番組を見ろ! 今すぐに!」
俺は言われるままにTVを点けた。そうか、この時間は丁度放送時間だ。
会社では大規模興行である巡業ツアーのほかにも、あちこちの会場で行われる試合などを放送するTV番組をいくつか持っているのだ。
「──189センチ 104kg! 金髪の貴公子・ミッシェル!!」
俺はほっと息を吐き出した。ああ、よかった。彼はどうやら無事復帰できたようだ。よく見ればまだ額に傷の跡がある。
俺がパイプ椅子で殴りつけた時の傷だ。
それに彼の精悍な顔つきは前にもまして引き締まって見える。
あの試合が多分良い方に作用したんだろう、悔しいがフレッドの読み通りだ。
「──あのタウンゼントと死闘を演じた男が今夜再び戦いに身を投じる!」
ミッシェルの派手な登場に観客は大盛り上がりだ。間違いない、あいつはスターになれる。
見ろよ、観客が皆、聖歌隊のように決め台詞を叫んでいる。「Play The Game!」と。
「──続きまして、187センチ!84kg!」
おい、待てよウソだろ?
「──聞こえるか!荒波の唸る音が! 七つの海を荒らしまわる海賊船長! ザ・キャプテン・フレディ!!」
ああ、なんてこった。右目にイヤーパッチをつけたフレディが、似合わないカツラを被り、海賊のコスチュームを身に着けてそこに居た。
新しいギミックは海賊か、悪くない。片目の光は失っても、心の光は失っていたなかったんだ。
「フレッド…… 今すぐに行く」
俺はそういって電話を切った。
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