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陸 春・淡雪 三
晴彦さんが来た日から、自分の生き方に疑問を感じるようになっていた。もっといい住処。生きる場所。それはどこなのだろう。
家の前のブナ林で木の根元に座ってうとうとしていた俺は、誰かが近付いてくる足音に気が付いて顔を上げた。ブレザーにプリーツスカートの女が覗き込むようにして俺のことを見ている。
「ねえ、あなた、時雨だったよね」
「……日和か」
「ちょっと相談したいことがあるの」
俺の返事を待たずに、日和はリュックを置き、俺の横に腰を下ろした。
「手短にしてくれよ」
日和から話しかけてくるなど珍しいこともあるものだ。近所に暮らす少女とホームレス。顔を合わせることはよくあるが、俺は彼女に用事はないし、彼女も俺に用事はない。軽く挨拶を交わす程度の俺に対し、相談をしたいとはどうしたのだろう。俺が答えたところで役に立つのだろうか。
俺と話をしていて、周りから変な目で見られないといいのだが。
「うちの子のことなんだけど」
「インコか」
「あの子、今年に入ってからずっと元気がないの。もう何ヶ月も、ずっと」
日和は共に暮らす淡雪のことを大層気に入っている。きれいな青いセキセイインコで、インコを中心に彼女の生活が回っていると言っても過言ではない。ノーインコノーライフだ。
「体がどこか悪いわけじゃないんだ。でも、元気がなくて。ねえ、時雨ならあの子の気持ち分からないかな?」
「残念ながらインコの気持ちは量りかねるな」
「……あなたに話しても無駄か」
おい。
日和は伸びをすると立ち上がり、俺を振り向く。
「あのさ、おじいちゃんは気付いていないみたいだけど……」
そこまで言って、周囲に聞かれないよう声を潜める。
「わたし、知ってるからね。あなたがおじいちゃんの裏庭に住んでるの」
「は」
「家もご飯も貰ってたら……。ペットみたいじゃない? 大丈夫?」
「失礼なやつだな」
「いつまでおじいちゃんのそばに居座るつもりなの?」
いつまで……? いつまで……だろう……。
俺が懊悩としているうちに、日和はリュックを背負い直して家のほうへ歩いて行ってしまった。
ペットみたいじゃない? とは失礼極まりない言葉だが、じいさんにへばりついて暮らす俺は、日和に飼われているインコと似た状態なのかもしれない。
枝と葉を揺らす風になんとも言い難い感情を流し去るように、俺は溜息を吐いた。
ブナの木を眺めているうちに再び微睡み始めた俺だったが、コツコツという音を耳にして体を起こした。おそらくキツツキだ。今日も名前の通りに木を突いているらしい。辺りを見回すと、少し先の木に黒と白の斑模様に赤いアクセントの入った鳥が留まっていた。あれがじいさんの言っていたアカゲラだと思われる。
遠目に見ても分かるくらい小柄で弱々しい。あの体で十分に木に穴を開けられるのだろうか。赤と黒と白の背中を見ていると、酷く不安な気持ちになった。否、心配していると言った方が正しい。
アカゲラを観察しようと、俺は前のめりになる。ところが、その姿勢は投げかけられた声によって崩されてしまった。
「しーぐれー」
見ると、窓枠から身を乗り出すようにして顔を出したユキがこれでもかという大声で俺の名前を呼んでいた。近所迷惑になってしまいそうなほど大きな声だ。ご近所が総出で文句を言い出す前にあの調子っ外れの声を止めなければ。
立ち上がる前に視線を窓から木に移すと、アカゲラの姿はもうそこにはなかった。ユキの声に驚いて飛んで行ったのかもしれない。
「ねーえー、しーぐーれー」
「分かった分かった、今行くから」
この辺りに住んでいるならば、また姿を見ることもあるだろう。若干の名残惜しさを覚えつつも、俺はユキの待つ窓辺へ向けてブナ林を飛び出した。
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