拾弐 秋・白露 三

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 ユキは窓枠に留まる俺達に、改めて「オハヨー!」と奇声を上げた。きれいな青い羽がふわふわ動く。 「あ、そういえば今日って燃えるゴミの回収日じゃん。夕さん行かなくていいの、ゴミステーション」  言い切る前に力一杯蹴り飛ばされた。しなやかな足さばきに、俺は地面に放り出される。普段穏やかな人ほど怒ると怖いと聞くが、どうやら逆鱗のような何かに触ってしまったらしい。 「お馬鹿、私はそのような嗜好はありません。人様の残りを漁るなど、このプライドが許しません。そんな奴らはカラスの風上にも置けない存在なのです」 「冗談だよ……。いってえな……」 「えっ、ああ、すみません、つい」  夕さんのつやつやした羽が青に緑に煌めく。こういうのをまさに烏羽色と言うのだろう。この美しさを保ち続けている彼がゴミを漁るようなことをしていないのは分かっている。いつも生真面目なので、たまには少しからかってやろうかなどと考えた俺が馬鹿だった。  俺は起き上がって窓枠に飛び上がる。  すると、オハヨオハヨと奇声をしばらく出していたユキが、小首を傾げて俺を見た。否、俺の更に後方に視線は向けられている。 「あ、あの、えっと、おはようございます」  振り向くと、そこにいたのは白露だった。自分のことをじっと見つめるインコとカラスに怯えているのか、少し離れた木に留まっている。 「し、時雨さん、起きたらいないからびっくりしたじゃないですか。ここにいたんですね」 「え、何? あんた達一緒に住んでんの?」 「あ、いえ。えと、隣の木に……。時雨さんがお家作ってくれて……」  あの日以来、俺は白露と行動を共にしていた。ブナ林に住み、時々じいさんの家に遊びに来る。そんな生活を始めた。初め、俺は動物病院の方へしばらく進んだ辺りに巣を作ろうとした。しかしその近くにかつて空巣に入ったフクロウの巣があったため断念。結局じいさんの家の近くに収まった。  今の俺は、野鳥としてあるべき生き方をしているのではないだろうか。じいさんの家の裏庭ではなく、このブナ林こそが俺の生きる場所だ。そうだろう。父が生きていた頃は森に住んでいたのだから。  夕さんに誘われ、白露は窓枠に飛んでくる。 「おや、アカゲラが増えているねえ」  白露の後を追うようなタイミングで、庭の落葉を竹箒で掃いていたじいさんが俺達のほうへやって来た。 「秋からいるから……。うーん、そうだね、白露かな。よし、きみは今日から白露だ」 「どうして僕の名前を知ってるんですか!?」 「陽一郎さんは出会った時の情景から名前を付ける傾向があります。ほら、今日も露が光っているでしょう? 付けられたのが本名と同じ名前でよかったですね。私は時々実の名を忘れてしまうのではないかと思っていますよ。ははは」  笑い事ではないと思う。と思ったものの、自分の本当の名前を忘却している俺が言えることではなかった。呼んでくれていた母を失い、父からは余り呼ばれず、消えてしまった俺の名前。今の俺は時雨である。その名前を誇らしいとさえ思った。  じいさんは俺を見る。 「よかったね時雨。最近あまり来ないから心配したんだよ。でも、こんな仲間ができていたんだね。儂といるよりも、こうして同じキツツキの仲間といたほうがいいよ。きみは野生の動物なんだからね」  そうだ。俺はユキと違って野生なんだ。人に依存しすぎるのはよくない。野生として生きなければいけないのに、命の恩人だからといってじいさんに甘えすぎていた。 「でもね時雨、いつでも遊びにおいで。待っているからね」  笑顔で俺を見るじいさんの丸眼鏡のレンズに、クマゲラが映っている。時雨の降る日、レンズに映った俺は一羽(ひとり)だった。しかし、今はみんなが一緒だ。撥ねられるのは二度とごめんだが、撥ねられたからこそ今の俺が存在している。  じいさんは竹箒を餌台に立て掛けると、餌代に載せていた皿を手に取って俺達に向けた。 「今日はラズベリーがあるよ。たくさんお食べ」  やった! と、俺達は顔を見合わせた。  皿の中の木苺をつつく鳥達を見ながら、じいさんはやさしく笑う。俺がこの家に初めてやって来た時と同じ、木苺である。何だか特別な気分だ。  落葉を乗せて風が流れていく。  少し冷たい空気の中、じいさんの温かい手が俺を撫でた。 「今年もそろそろ時雨が降るねえ」  今年もまた、冬がやって来る。
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