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肆 春・淡雪 一
日に日に気温が高くなっていく今日この頃。降る雪も淡雪に変わり、春がすぐそばまで来ていた。ユキの家では、お姉さんの高校入学に向けて準備の真っ最中だ。今日も何かを買いに出かけていたようである。
「しばらく夕ちゃん来てないねえ」
先程、裏庭をうろついていたところを見つかってしまった。ついに野宿がバレてしまうかと身構えたが、じいさんは窓を開けて「話し相手になってくれるかな」と微笑んだだけだった。
窓からリビングを覗き込む形になった俺に対し、じいさんは向き合うようにして椅子に座っている。ほぼ直角の向きに置かれたテレビからは道内ニュースが流れていた。
「夕ちゃんがいないと寂しいね」
ユキのお姉さんに激しく攻撃されて以降、夕さんは姿を見せていない。一ヶ月以上経つが音沙汰無しだ。
「時雨はよく来るけど」
はい、すいません、住んでます。などとは言えないので俺は視線を逸らしてはぐらかす。
車に撥ねられた傷が癒えるまで。最初はそのつもりだった。
右腕は既に思った通りに動くようになっているうえ、痛みもなくなっていた。稀に「古傷が痛むな」と思う程度である。それでも俺は物置とツツジの間に留まっていた。あと少し、あと少しと思っているうちに、居心地のよさから抜け出せなくなってしまったのだ。
落ちるところまで落ちた。
じいさんはテレビのニュースを聞き流しながら、「この春は何を植えようか」と花や野菜の種の袋を見比べている。あの花壇に花々が咲くときっと綺麗だろうな。まだ雪が残っているが、早めに準備をしても損はないだろう。
『都市部ではカラスによるゴミステーションの被害が相次いでいます――』
真面目そうなアナウンサーの男がそんな文を読み上げる。札幌の街でゴミ置き場を漁るカラスの群れと、それを追いかける自治会のおじさんの姿がVTRで流れた。
「ああ、夕ちゃんはどうしてしまったのかなあ」
じいさんはテレビを見て溜息を吐いた。
髪や髭と同じ色の眉毛が大きく下がる。夕さんの話し振りだとかなり長い付き合いのようだったから、相当寂しいんだろうな。
「時雨、おまえは突然いなくなったりしないよな」
「えっ? なんだよいきなり」
「便りがないのは元気な証拠と言うけれど、いつも来ている子が来なくなるのは寂しいねえ……」
気の利いた言葉をかけて励ましてあげたいが、いかんせん俺はこういうことに関しては不器用だ。リモコンを手にチャンネルをいじり始めたじいさんに「また後で」と告げてから、窓を離れた。
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