記憶

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視覚情報は処理を重ねるごとにフィルターが重なって思い出となっていく。写真を小さく粗末なアルバムに収めるように色あせていくものだ。旧時代ならなおさら、短い人の一生ですら幼い時分を思い出せなくなるときくのに、長く生きてはアルバムの初めのページなんかは擦り切れて見えなくなってしまうのだろう。 「面白いものを手に入れたわ」 「あら、それ。カメラですか」 「ええ、今時めずらしいでしょう」 「何を撮りたいんです」 「夕焼け。この部屋から見る夕焼けは格別だから」 高い塔の、開かれた窓から見る夕焼けはいつもきれいだった。琥珀を溶かしたような色だと出会ったばかりのころ彼女は言っていたっけ。琥珀も知らなければ琥珀を溶かしたこともないから、私にはとんと理解ができなかったのだが、最近はその琥珀についてのデータを得た。でもここの夕焼けのほうが美しい、と私は思う。 「貸してごらんなさいな。あなたは新時代ですから、カメラなんて不要でしょうに。骨董屋かどこかで買ったのですか」 「そうよ、骨董屋。店主にも不思議な顔されたわ」 写真を撮る、という行為はたしかに新時代には不要だ。データをボディ以外に残す必要がないから、必然的にデバイスのほとんどが消えていった。カメラも例外ではない。 「撮ってあげましょうか」 一通り撮り方を教えてもらって、一枚夕焼けの写真を撮り終えると彼女は声をかけてきた。 「ううん、一緒に映りたいの。あとあなたの写真も」 「あら、いよいよどうしてカメラを買ったんです。私の姿であればあなたは記録しているでしょう」 ……長く生きている旧時代の彼女はきっと昔のことなんて鮮明には思い返せない。今私が気まぐれに通い詰めていることだって、彼女がここに生きる限りいずれ色あせて、擦り切れたアルバムのめくれない一ページになってしまう。 だから、ちょっとだけ。 何百何千何万と見てきたであろう夕焼けと、私のことを今日という日付で彼女の記憶に特別に刻んでやりたくなったのだ。 なんて言いたくはない。 「気にしないでちょうだい。ほら撮るわよ」
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