「赤いくちづけ」

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 探偵も同じように日差しに目を細めながら、私に微笑みかける。そんな優しい笑みは殺人犯に向ける表情ではないはずなのに。 「このまま僕が何も言わなければ、警察は自殺として処理するかもしれない。あなたは完全犯罪を成し遂げ自由の身だ。だけど、このことを忘れることが出来ますか? 人一人殺した罪をあなたは忘れることが出来るんですか? あなたはそんな人ではないでしょう」 「そ、それは、そうかもしれませんけど……」 「だったら自首して罪を償った方が、幾分気持ちがスッキリするんじゃないですか? 殺したあともDV夫のことが忘れられないなんて、元も子もないじゃないか。罰せられるということは、罪と向き合い、区切りをつけること。そして再出発を許されるということです」  私は目を丸くして探偵を見る。まるで目からうろこのような気分だ。逃げきっても、いつばれるか分からないと怯えながら生きるのと、刑に服し罪を償い再出発するのとどちらが良いだろうか。 「探偵が言う言葉に思えませんね」 「そうですか? 僕は探偵だが正義の味方じゃない。それは警察の役目だ。僕が事件を解くのは自分の知的好奇心を満たすためだけです。だから今回は世間一般的な気持ちとしてあなたに同情したから。被害者には悪いが、殺されても仕方ないかなって思いますよ。うちの兄は立派な弁護士です。きっとあなたの力になってくれるでしょう」 「探偵さん」 「うん?」 「ありがとうございました」  私は彼に頭を下げる。憑き物が落ちたかのようにスッキリとした気持ちで満たされていた。彼は私に近づくと練り紅を差し出した。 「証拠の練り紅です。自首する際、警察に渡してください。それ、とてもきれいな赤色ですよね。今度口紅をつけるときは自分のため、あなたを美しく着飾るために使ってください」  探偵はそう言うと家の中へと戻っていった。私は彼に向かってもう一度深々と頭を下げる。  私は顔を上げた。練り紅をきゅっと握り締め、警察官の元へと足を向けた。
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