カプチーノみたいな感情

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金原くんのことをすきになって、初めてやることが増えた。 まずは、これまで以上に常時身だしなみに気をつけること。 そして、野球と、栄養学についての知識などを勉強すること。 だから、3年になって同じクラスになれたことを知ったときは、自分の努力を少しだけ受け入れてもらえたような気がした。 高校3年目の、最後の夏を目前にした席替えで、わたしは最高の当たりを引いた。 窓際の前から2列目。 窓際という解放感がありながら、近視にはありがたい前の方の席(もちろん矯正はしているけれど、前の方がいいに越したことない)。 「あ。お隣さん、よろしくね」 「えっ…」 ーーー金原くんが隣なの…?    心臓が破裂しそう… 「よ、よろしく!」 「猫田さんって、下の名前なんていうんだっけ」 ーーーうそ、苗字、覚えてくれてる…!    まともに会話したの、これが初めてなのに… 「あきせ です! 明るいに瀬戸内海の瀬で、明瀬」 「明瀬ちゃん」 わたしの紹介に、いとも簡単に名前を呼んでみせる、目の前の笑顔の彼。 ーーーこれは、夢なのかな… 「ごめん、馴れ馴れしく名前で呼んじゃった。イヤだったよね…」 「ううん、全然! 金原くんだったら、いつでも大歓迎っていうか」 「ふふ。明瀬ちゃんって、おもしろいね。おれのことも、名前で呼んでくれていいよ」 わかる? と訊いてきたので、もちろん! と勢いよく応えたあと、隼太くん! と続けた。 ーーーうわ、なんか完全にコミュ障を露呈してしまった…    間違いじゃないけど… 言ってすぐに反省するも、彼の方はあまり気にしていなかったようで安堵した。 隣の席になってみて、よくわかったことがある。 文武両道で有名な彼だったけど、言うほど勉強が得意ではないということ。 要領がいい、という方がたぶん合ってる。とりあえず、授業をまともに受けてはいなかった。 授業を受けているように見えても寝ていたり、おそらく部活に関係するノートを書いていたり… 座学の授業できちんとしていたのは、英語と数学だけ(理科系や技能教科などの移動教室の授業は、その教室ごとに別の席が指定されているので、ようすはわからないけれど)。 特に現代文、古典、日本史や世界史と、文系は苦手のようで、気がつかれない程度にうまく授業をサボっていた。 「はぁ、つかれた…もう帰りたい…」 意外にもこんな嘆きを言ったりもしていることを、隣の席になって初めて知った。今までとはまったく違う景色が見える。 「明瀬ちゃん、楽しそうだね」 「え?」 「勉強、すきなの?」 「うん。きらいじゃないよ」 「羨ましいなぁ」 「隼太くんは…頭いいよね。文武両道、っていうのかな」 「そんなんじゃないよ。平均より少し上ならいいくらいの感覚でいつも授業受けてるからさぁ。日本史、世界史、古典…歴史系の授業はほんと苦手で」 「そうなんだ…」 ーーーやっぱり間違いじゃなかったのか わたしは、そう思って意を決して口を開く。 「もし、隼太くんがイヤじゃなければ、わたしのノートとか、いつでも見せるけど」 このわたしの言葉に、彼は本当? と言って目の色を変えた、ように見えた。 「明瀬ちゃんのノート、すごく見やすそうだし、借りてもいいかな」 「うん。お役に立てればいいんだけど」 「ありがとう、すごい助かる。実はさ、夏の大会の関係で何日か学校休むから授業受けられない日があるんだ。その休んだ日の分とかも見せてもらえたりできるかな?」 「うん…あ、やっぱり条件つけてもいい?」 「え? うん。なんでも言って!」 「………試合、負けないでね。隼太くんが活躍してくれれば、わたしもうれしいから」 「! もちろん!甲子園への切符をつかんで明瀬ちゃんのもとへ帰ってくるよ。だから、甲子園までちょっと遠いけど応援に来て欲しいな」 「うん、応援に行くよ」 「約束!」 彼とこんな約束を交わすなんて、夢なのではなかろうか。 けれど、交わった小指からは、たしかに体温を感じる。 ーーーわたしも、ちゃんとやらなきゃ! より一層、勉強に励むことを、心の中で誓った。
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