神々の憂鬱

1/1
38人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

神々の憂鬱

 地球のはるか彼方の上空、いや、さらにその上空、宇宙の果てまで飛んでいくと一つの星がある。荒涼とした、殺風景なこの星はおおかた生物と呼べるようなものは生息できそうになかった。  しかしそんな星を故郷と呼ぶ生き物が、もしくは種族とでもいうべきか、とにかく今その星に一堂に会していた。正確には彼らを生物と呼んでいいか分からない。なぜなら彼らは繁殖をしなければ死ぬこともない。また、皆が兄弟であり、分身のようなものだった。彼らは一人の親玉が必要に応じて生み出した、親玉の一部だったからだ。親玉の名はゼウス。地球に住む人間はそう呼ぶ、神々の頂点たる神様だった。  エルディンは地球からわざわざ故郷に帰ってきた。もっとも時間にして0.001秒ほどで着ける。この男も当然神であり、太陽系を管轄下に置いていた。他の神々に対してエルディンは若い。宇宙の歴史の138億年の中で、地球は比較的新しい星であり、エルディンは生み出されてまだ2000年しか経っていない。帰郷は2度目であり、故郷と言われてもピンとこなかった。  神々は地球時間にして1000年に一度、会合を開いている。そこでゼウスに各星系の近況を報告し、平和・秩序について議論し、必要に応じて惑星・生物に手を加え宇宙を創造していく。 「惑星アクェルスの生物は新型ウィルスの蔓延で全滅しました。次の新たな生物が生まれるまで10億年かかると思われます」 「イーテン星系は抗争が激化し、惑星の一つが壊滅。犠牲が増える一方です」  自分の子、もとい分身たちの報告を聞いて、ゼウスはため息をついた。宇宙は未だ発展の途上だ。平和への道は程遠い。  そこでゼウスが地球に人類を創生したのが20万年前だ。地球に既にいた生物の遺伝子を少し弄り、試験的に高度な知的生命体を創作した。神と言えども能力には限界がある。例えば時間を操ることはできないので、過去を変えることもできない。同様に、思い通りの生物を即席に創ることも不可能だ。そのため20万年かけて人類を少しずつ進化させ、ようやくゼウスの望む完成形に近づいてきた。人類の技術発展は目覚ましく、宇宙に進出するのも時間の問題であった。ゼウスは人間に宇宙を支配・統率させ、宇宙に平和をもたらせようと企んでいた。そして人類の動向を観察・報告させようと2000年前に創造したのがエルディンである。  しかしその1000年後に、エルディンが帰ってきてゼウスは愕然とした。高度な知能と高尚な理性は、万物に平等な愛と慈悲を以て接するものと信じていたが、人間は自己の利益を求めることに奔走し、常に他人を騙し、互いに殺し合いをしていた。ゼウスの計画は思わぬ誤算で頓挫(とんざ)し、応急の策を講ずることとなる。  それは、イヌに手を加えることだった。元来ヒトはイヌを道具としてしかみなしていなかったが、そこに尊さを吹き込んだ。かくしてイヌは、利口で従順で、ヒトにとって最高のパートナーであるが、ヒトなしでは生きられない儚きものという立ち位置へと変化していった。ゼウスはイヌに、ヒトの博愛の覚醒を託した。   「それで、地球はどうかね?」  ゼウスはエルディンの方へ顔を向けた。 「相変わらずですね。むしろ悪化したといえるでしょう。文明はさらに発展しましたが、人間のやることなすことは残酷なことばかり。虐殺の規模は大きくなり、一度に何千・何万と殺せるようになりました。自ら手を下してる実感が湧かなくなって、感覚が麻痺したんですかね。また、昔と違い人間同士の争いのみならず、やつら平気で地球を汚染しています。森林伐採、海洋汚染なんてなんのそのです。高尚な生物がやることはさすがに立派ですね」  エルディンはヘラヘラ笑いながら皮肉を言った。生み出した時から彼はひょうきんな性格だった。  ゼウスは再び大きくため息をついた。 「例の方はどうかね? イヌに対する接し方は? 彼らの残虐性はイヌと接しても変わらんかね?」  ゼウスは指をパチンと鳴らした。するとどこからともなく大型のハウンドが現れ、ゼウスの膝へ飛び乗った。ゼウスはそれを愛おしそうに撫でながら呟いた。 「この生き物は、ワシが創り出した中でも傑作なんだがね」  エルディンはニヤニヤしながらその光景を眺めつつ、質問に答えた。 「まあ、さほど変わっていませんよ。先ほども申した通り、地球を汚染して他の生物への配慮も尊厳もありません。未だに牛や豚に過度な苦痛を与えて屠殺(とさつ)はするし、一部の地域では犬もその対象でさあ。もちろん人によっては犬に慕情をもって接しますが、虐待したり、商品としか見てなかったり、そんなやつらがたくさんいます」  ゼウスは眉間にしわを寄せながら、特に犬を殺しているという説明には目を見開いて聞いていたが、しばらく腕を組んで考えたあと、決心したように口を開いた。 「エルディンや。ワシはそろそろ地球をリセットしようかと思う」  エルディンの耳がピクリと動いた。 「ワシは間違(まちご)うておった。霊長類の頂点に立てば、弱者を(いつく)しむものとばかり思っておった。しかしお前の報告では人間の横暴化は見るに堪えんという。星を食いつぶすなど言語道断じゃ」  エルディンは普段人間に紛れて生活している。人間の無慈悲さばかり言うが、実は彼にも情けというものがない。ゼウスは公平中立に人間を監察するためにエルディンにそのような感情を与えなかった。 「ええ。彼らの本心は残酷です。性善説、性悪説どちらかと言われれば人間は間違いなく性悪説でしょう。この間中東では、見せしめのために笑いながら人の首を斬り、いたぶって虐殺しました。それから比較的平和に見える地域でも陰湿ないじめや虐待が常態化しています。自殺する者が後を絶ちません。とにかく自分より弱い者を虐げずにはいられないんですかね」  エルディンは自分が感じた通りをそのまま口にした。情けの感情を消してしまったためこのような軽薄な性格になったのであろうか。ゼウスには彼がどこか楽しんでるようにしか見えなかった。  それゆえ、彼が次に続けた言葉がゼウスにとって意外だった。エルディンは慎重に話し始めた。 「しかし親父、そんなに悲観することばかりでもありませんぜ。私が見てきたところによると、犬を飼った者は大抵心優しい人間に育ちます」  ゼウスは顔を上げた。一縷(いちる)の希望を見出したような気がした。 「弱者をいじめる者は、弱者より弱いんです。人間とは、動物の頂点ではなく、最弱なんです。弱き者には救いの手が必要でしょう。その役割を犬が果たしているかもしれません。もう少し、大目に見てやってはいかがでしょうか」  ゼウスは驚いた。彼が突然情け深いことを言い出すとは。人間界で何を見てきたのかとてつもなく興味が湧いてきた。ゼウスの心を見透かしたかのように、エルディンは役者のような語り口調で話し始めた。 「では私が見た、ある少年の話をしましょう」
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!