捨てられた子犬

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捨てられた子犬

 ある時エルディンは林の中を散歩していた。ゼウスの親父に命じられた使命は人間を観察することだが、もうすでにほとんど任務は終わっている。人間は残酷無比。たとえ局所的に慈悲を持ち合わせていても本性は残虐であった。  だからといってエルディンは特に人間をどうこう思わない。星に帰ったら事実を粛々と報告すればよいだけだ。そう考えながら退屈しのぎに林を散策していただけだった。故郷に帰るまで残り約50年。暇潰しに何をしようかというのがエルディンの悩みだった。  今まさにそのことを考えて歩いていると、キューキューと悲しい鳴き声がエルディンの耳に聞こえてきた。  声のする方へ近寄ってみると、子犬が段ボールに入れられ捨てられていた。親父が犬は神の傑作だと言っていたのを思い出す。 「この弱い生物が、神の傑作ねえ」  エルディンは皮肉を漏らした。感情を持たないエルディンにはまったく理解できなかったが、とりあえず子犬を抱き上げてみた。子犬は震え、相変わらずキューキューと鳴いていた。  そこでエルディンは言葉を翻訳してみた。神なので当然できる。 「寒いよぉ。お腹すいたよぉ」  悲痛の声だった。暇つぶしにエルディンは会話をしてみることにした。 「なんで捨てられたんだ?」 「分からないよ。最初は兄弟たちいっぱいと一緒に遊んでたんだけど、ちょっとずつ色んな人間に持っていかれちゃった。僕だけ最後に残ってたんだけど」  売れ残ったのか。エルディンは心の中でそう思いながら頷いた。 「ひどい人間だな。さぞ憎いだろ?」  しかし子犬の答えは意に反したものだった。 「ううん、ご主人様はちゃんと面倒を見てくれたよ。きっと僕が悪い子だったんだ。お母さんに色々教わったのに、守れなかったんだね」  エルディンはゼウスが何たる悪趣味かと思った。こんなマゾな生物を創り出して、これが傑作とは笑止千万だった。 「すまんな。俺には何もしてやれないや」  エルディンはさっさと立ち去ろうとした。人間の極悪さは聞き飽きたし、犬という生物ももう理解した。 「うん、分かってたよ。だって人間の匂いがしないもの」  エルディンはバレていたかと頭を掻いた。嗅覚が鋭いのは本当らしい。エルディンが言葉に窮していると子犬がさらに口を開いた。 「僕はたぶんもう死ぬんだろうね。しょうがないよ、僕が悪い子だったんだから。でも、少しでもいいから人間に抱っこされたかったよ。お母さんが言ってたんだ。人間の腕の中はとってもあったかいって」  そうこう話しているうちに子犬はかなり衰弱してきた。 「お前の一番の願いはそれか? 人間に抱っこされることか?」 「うん、少しでいいから愛情を注がれたい。腕の中で眠ってみたい」  しばらく黙って考えたあと、エルディンはため息をついて子犬の頭を撫でた。するとたちまち子犬は瀕死の状態から回復した。 「……あれ? なんかすっごく元気になってきたよ。もしかして、君が撫でたから……?」  エルディンはゼウスに、神の力を使って干渉してはならんと念押しされていた。 「1日だけだからな」  エルディンは段ボールを持ち上げた。 「君は何者なの? 名前は?」  子犬は不思議そうに尋ねた。 「名前はエルディン。神様だ」  エルディンは持ち前の早業・神業で子犬を公園の目立つ位置に置いた。エルディンは透明と化し、近くで様子を見守っていた。するとすぐに好奇心旺盛な子供たちが群がってきた。 「これで拾われなくても恨むなよ。人間は基本、悪だからよ」  エルディンは神に祈るつもりで見守っていた。 「おい、みんなこっち来いよ!」 「かわいい。こんな子を捨てるなんてひどいね」 「誰か飼えない?」 「うちはもう飼ってるからなあ」  しかしそう簡単に飼い主など見つからない。残念だったな、子犬ちゃん。エルディンが諦めかけたそのとき、一人の少年が名乗り出た。 「僕が責任をもって飼うよ」  その日1日、幸せの時間を覗くなんて野暮だとエルディンは思った。しかし神の力を使ってしまった手前、最期の時間(とき)だけは見届けようと、エルディンは透明になってトムの家に侵入した。 「ぺス! ぺス! 死んじゃいやだよ! お母さん! お母さん!」  「ありがとう、トム」  ぺスはゆっくりと瞼を閉じていった。それから最後にぺスは鼻を少しひくつかせた。 「ありがとう、エルディン」 「とまあ、結局子犬は死んでしまったんですけど、トムはその時子犬を救えなかった悲しみから、今では世界的な動物愛護団体のリーダーとして活躍しています。トムに救われた命は数えきれないでしょうね」  ゼウスは神妙に聴いていた。 エルディンは自分が神の力を使ったことや最後に子犬がエルディンにお礼を言っていたことは黙っていた。禁忌を破ったとなれば、いつこの魂を消滅させられるか分からない。やがてゼウスは口を開いた。 「たしかにぺスの存在がトムに影響を与えたのは間違いないだろう。痛みや悲しみを幼い頃に経験することで、優しい人間になれるのかもしれない。人間はもともと弱い。犬が強さの糧となるやもしれんな」  しかしゼウスがまだ納得していないことは、エルディンにはすぐに分かった。そのため次の話は既に用意してある。 「ええ。しかし親父はこうお思いでしょう。トムの話は極端な例で、ぺスは1日で死んでしまったから強烈な思い入れができたのだと。では、こんな話はどうですかい。ともに成長した犬と子供の話です」
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