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本音中の本音を言えば、写真家一本で――風景写真一本で食べていける写真家になりたい――そう思っている。
だけれどそんな風に生きていける写真家は一握りで、そもそも写真家だけで食べていける人間だって多くはない。
だから写真家として(強制的に)独り立ちしたばかりの俺に、仕事を選ぶ権利はな――くはないが、選り好みはすべきではないだろう。
人生いつ何が役に立つかわからない――し、感性を磨くという意味で人生経験は多いに越したことはない。
そして他人の美意識を見ることはとても大事な勉強だ。
…たとえその技術を間近で見ることができなくとも――違う角度で知ることのできる技術というのもあるから、だ。
東京に戻って数日。急に師匠から振られた仕事は――モデルの、だった。
仕事は選り好むべきではないし、立場でもない――とはいえモデルは本業ではないし、今となっては学生のアルバイトでもない。
一流の――とは言わずとも、プロとしての自覚と責任をもって臨むべき「仕事」である以上、これは一写真家として、かつてセミプロだった者として、この仕事は断るべき――…なんだが、俺はそれを引き受けていた。
…とても、自分勝手な理由で。
「(…やっぱり乙佳先生の現場は忙しいな――コッチは)」
着替えを終え、ヘアメイクの最終チェックを受けながら――カメラや照明といった機材の並ぶスタジオの中心に目を向ける。
コチラはバタバタと、まるでファッションショーでもしているかのように慌ただしいのに、撮影チームは悠然と世間話に興じていた。
…でもこれは写真撮影の現場ではよくあること――じゃあない。
これは腕も感性も、そしてデザイナーとの相性も抜群な、ベテランかつ敏腕な乙佳先生だから成立している――んであって、当たり前のことじゃあまったくない。
そしてこれは、良い手本かと尋ねられると――…おそらく、良い手本ではない――だろう。
あくまでこれは、乙佳先生だから成立している荒業で神業、だ。
「――香高さん準備できましたー!」
「ぃよっしゃこーいイケメーンっ!」
スタッフが次のモデルの準備ができたと知らせると、黒髪短髪の男性――乙佳先生が掛け声と一緒に立ち上がる。
そしてそれをきっかけに他のスタッフも各々の持ち場に戻っていく。
統率がとれているというのか、一つのチームとしてまとまりのある撮影チームに、乙佳先生の人望の厚さとカメラマンとしての魅力を感じながら、スタッフに案内される形でセットの中に立つ――と、
「ひっさしぶりだな葵く~ん――よし、ちゃんとお肌のケア以下略は欠かしてないな」
「それはもちろんですよ――じゃないとクビ、切られちゃいますからね」
「おーともよ~ぅ。イケメンの驕りはオレの天敵だからなー――さて、ちゃちゃっとまずはいこう」
「はい」
親しみやすい雰囲気から一転して、先生の雰囲気がピリとしたものに――写真家としてのモノに変わる。
委縮はしない――が、気を緩めることはできない「本物」の緊張感。
これも、ある意味で乙佳先生の魅力だと、俺は思っている。
…ただこの緊張感を、アシスタントとしてはあまり味わいたくないが。
気の引き締まるピリとした雰囲気の中で言われるまま、求められるままにポーズを変え、表情を変え――
――乙佳先生の求めるモデルを演じ続ける――と、あっという間に出番は終わる。
満足そうな表情で「OKー!」と言ってくれた乙佳先生に「ありがとうございました」と返す――と、パシャリと一枚撮られた。
「うんうん。やっぱり葵くんの笑顔いいねぇ~。このオフ感がすっごい好きだわー」
「……求められた記憶はないですけどね」
「そりゃあやっぱりモデル系イケメンは画角の中では澄ましててもらわんとなー。
でも!だからこそ!そこから外れた時の感じがたまらんのよ~。このギャップとレア感…!ははー!カメラマンたのしー!」
「――ちょっと、いつまで一人で盛り上がってるのよ。葵くんも大御くんも忙しいんだから次に行くわよ」
自身のこだわり(?)を語る乙佳先生――を、呆れた様子で窘めたのは、クセのある雀茶色の髪をボブに整えた女性。
彼女の登場に乙佳先生は若干不満げな表情を見せた――が、抗議も反論も返さずに「へーい」と同意を返す。
そしてそれを受けた彼女も、その返事にむすっとした表情を見せた――が、それはすぐに笑顔に変わり、場の雰囲気を改めるように「二回戦よ!」と次の撮影の開始を告げた。
次の撮影は単品――ではなくコンビ。
それに伴いセットにもいくつか変更があるようで――
「…帰ってきていたのか」
「ええ、そろそろ遊んでばかりもいられない――と思って」
「……遊びまわっていたわけではないだろう」
セットの準備が終わるまでの小休憩――の、話し相手にと俺が近づいたのは、ピシリと衣装を着こなし、長身で体格も優れた実に男らしい男性――モデル業の先輩で、少しばかり遠い親戚の、村上大御さん。
親戚としては、言葉を交わす機会さえなかっただろう相手――なんだが、やはり遠いが親戚だからか、大御さんとはそれなりに軽口も叩ける間柄だ。
「まぁ、それはそう――ではあるんですが、きちんとした『仕事』の経験を積まなくては、と」
「…そう思い至る『何か』があったわけか」
「ええ、あれから何件か依頼が入るようになったんですよ――ありがたいことに」
「……まぁ、お前の――センス…については、本物だからな」
「…へぇー…?」
「…なんだ」
「いえ……大御さんに褒めてもらったのは初めてだな、と…」
「………お、俺とてっ、本物は本物と認める…!」
「……フフ、そうですか。大御さんに認めてもらえるなんて嬉しい限りです――で、噂の秘書さんについてはどうなんです?」
「…――……?……、………ん?」
「………彼女とは事務的なやりとりしかなくて」
「ふ、む…?……珍しいこともあるものだな」
「…はい?」
意外そうな表情で言う大御さんの「珍しい」が指すモノがわからず、思わず首をかしげる――と、不意に大御さんは表情をいつもの険しいような平然としたものに戻して「こっちの話だ」と言う。
…なんとなし、大御さんの反応には引っ掛かるものがあるが、好奇心を剥きだして「なんですなんです」と問い詰めたところで口を滑らせるような人じゃない――わけでもない。
ただ雪親さん――もしくはもう一人の村上の先輩でなければ難しいだろうけれど。
この現場に雪親さんがいたらな――なんて思いながらも、ここは「そうですか」と流す。
ただ、俺の顔から好奇心が未だ漏れているのか、それとも単に俺が簡単に引き下がったことが不自然だったのか、引き下がった俺を見る大御さんの顔には少し怪訝そうな色がある。
挑発を含んだ笑みを浮かべて「なんですか?」と尋ねる――と、大御さんは迷惑そうに眉間にしわを刻んで「なんでもない」と言った。
ある意味でワガママな大御さんの反応を微笑ましく思っていると、ふと向こう――わずかに騒がしくなっているスタジオの出入り口に目が向く。
そしてそこで女性スタッフに囲まれていたのはグレーのスーツを着た――女性。
落ち着きなくスタッフたちの顔を見て、たまに頭を下げているところを見ると、彼女は「新人」で「遅刻」をした――といったところだろうか。
…ただ、それにしては先輩スタッフの反応がずいぶんとソフトだ――…いや、全然ソフトじゃなかった。だいぶ――アグレッシブだった。物理的に。
雀茶の女性――乙佳先生の奥さんであり、ファッションデザイナーでもある杏さんが嬉しそうに駆け寄っていった――末に、がばと抱き着いたのは新人の彼女。
いきなり死角から勢いよく抱き着かれ、その衝撃と唐突さに「ぉわあ?!」と驚いた様子で声を上げる彼女は――
「…あれが件の、俺の秘書だ」
「…へ……ぇー…? ぇ」
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